北御牧村の「驚異的な団結力」

             

 いわゆるオウム二法を実現させた基本的な起動力は、全国でわきあがったオウム真理教に反対する住民運動でした。もちろんそれを支えた行政や、地方から国会にいたる各級議員たちの多大な努力があったこともまた大きな力となりました。その切っ先としての役割を果たしたのが二十四時間の監視体制という北御牧村の先進的で自己犠牲的な行動だったことは誰もが認めることでしょう。週刊誌が「驚異的な団結力」と評価したとおりです。

 私が雪の北御牧村で話をさせていただいたのは一九九九年一月二十四日。会場ぎっしりに座り込んだ村民のみなさんや、そこに入りきれず雪の舞う寒空で話を聞いてくださった方々の姿は、いまでも印象的です。その後、私は山梨県清里、埼玉県八潮市、茨城県三和町、栃木県大田原市、群馬県藤岡市などでもオウム真理教の問題点を話す機会を得ました。

 いまみなさんはこのような報告集をまとめる段階に入りましたが、私が歩いたところをふくめ、全国ではまだまだオウムの火種をかかえたままの地域が多いことも残念ながら現実です。この闘争の記録がいまだ闘わざるをえない全国の人たちの手元にも普及されることで、さらに大きな力を発揮することを願っています。そこでいま私が考えているオウム真理教の現状について簡単にご報告したいと思います。

 オウム真理教はいま、分岐・分裂の兆しを拡大し解体へと向かうのか、それとも体制を立て直し今後とも組織を維持していくことができるのかという重大な岐路に立っているでしよう。

 九九年十二月二十九日に広島刑務所を出所した上祐史浩が、横浜支部を拠点として活動を再開してからというもの、内部ではさまざまな矛盾が生じているからです。

 二〇〇〇年一月十八日、オウム真理教は「事件に関する総合的見解表明」(上祐史浩)と「抜本的教団改革の概要」(村岡達子)という文書を発表、教団名を「アレフ」に変更することも明らかにしました。「アレフ」とはヘブライ語のアルファベットの最初の文字で、再出発を意味するといいます。

 地下鉄サリン事件などの凶悪事件とオウム真理教との関係については、「教団正式見解」という文書が、村岡達子代表代行名ですでにマスコミに送り付けられていました(九九年十二月一日)。そこにはこう書いてあります。

「当時の教団関係者の一部が事件に関わっていたことは否定できないと判断するに至りました」「被害に遭われた方々ならびにご遺族の方々へできる限りの補償をしていきたい」

 この見解を上祐復帰後の教団が一歩推し進めたように見せかけたのが、新年に入ってから明らかにした新方針でした。事件と彼らの帰依の対象である麻原彰晃との関係はこう説明されています。

「当時の麻原代表についての刑事責任については、同人の裁判が今なお係争中であるゆえ断定しえないものの、現長老部メンバー及び各部署のリーダーを中心とする教団執行部の見解としては、関与したのではないかと思われるという認識で一致しました」

 ここで注目しなければならないのは「関与したのではないかと思われる」などというもってまわった言い回しをせざるをえなかった理由です。実はそこに教団幹部内の現在の力関係が現れていると思うのです。上祐は出所後初の肉声を「朝日新聞」(一月十九日付)を通じて世間に伝えていますが、麻原と事件の関係についてはこう語っていました。

「私自身は『関与した』と思っている。私が尊師から告白されたことはないが、友人たちの裁判での証言などからそう推測している。出所後、幹部たちを『認めるべきだ』と説得して、教団としての見解に達した」

 上祐が本当に麻原から「告白」されなかったかといえば大いに疑問です。関心のある方は有田著『闇の男 上祐史浩』(同時代社)をご覧ください。その問題は置くとしても、しかし正式見解では「関与した」と断定することができませんでした。漏れ伝わってくる討議内容によると、教団を解散し、新団体結成にあたっては事件の原因となった麻原ファミリーを切り離すといった上祐構想に、麻原の三女アーチャリーや野田成人などが猛反対したからだといいます。

 ではオウムがアレフに変わる意味をどう考えればいいのでしょうか。結論的にいえば、オウム真理教がどんなに装いを凝らし、子細工を弄しようとも、いささかも幻想を持ってはいけないということです。地下鉄サリン事件などが麻原彰晃の指示のもとで、教義に基づいて起きた以上、オウムはその実体を出来るかぎり具体的に、しかも原理にさかのぼって分析し総括しなければならないのです。

 新方針を発表した文書は、麻原を「天才的な瞑想家」「霊的存在」と高く評価しています。ならばそうした人物がなぜ事件に「関与したのではないかと思われる」のか。被害者や社会に謝罪するという見解が本当かどうかを判断するリトマス試験紙は、事件総括の深さにこそあるのです。
 
 上祐史浩についていうならば、オウム真理教が本格的に危険な方向に転換する局面に立ち会っていたのではないかという疑惑もあります。オウムは一九九〇年二月に行なわれた総選挙に真理党を結成して臨みましたが、麻原や上祐など出馬した二十五人は全員が落選しました。この直後の三月、オウムは上九一色村でボツリヌス菌の培養を開始。四月十日には上祐ら二十五人を集めた秘密会議が行なわれました。ノートを取ることも他人に語ることも禁じるといって麻原が語ったことは、総選挙で落選した以上、この世はマハーヤーナ(大乗)で救済はできない、これからはヴァジラヤーナ(金剛乗)でいくという決意だったのです。

 四月十六日、麻原は千三百人の信者を連れて石垣島セミナーへ出発。その間に東京でボツリヌス菌を散布する計画だったが失敗に終わっています。謝罪をいうのならば、裁判の証言で明らかとなったこうした問題を、上祐みずからが語らなければならないのです。 

 被害者救済にしても然り。教団の真剣な自己分析を経たうえでの補償でなければ、それは欺瞞に過ぎません。ましてや信者のパソコンショップ経営で得たばく大な資産を隠したままの状況で、なにがしかの被害者救済が行なわれたとしても、これまた本末転倒だといわなければならなりません。

 教団は生き残りのために必要なさまざまな手を今後とも打ってくるでしよう。麻原の長男を三女らが拉致し逮捕された事件にも見られるように、幹部や信者間の動向もさらに流動化していくことが予想されます。だが社会に批判と監視の眼があるかぎり、分裂や分岐があったとしてもいずれ教団は解散に追い込まれることでしよう。いや、追い込まなければなりません。

 ところが上祐が構想した自主解散路線の精神は「組織はなくとも信仰は守る」というものです。そのときこそ、破壊的カルトとしてのオウム問題の新しい局面がはじまることになるでしよう。いま必要なことは、泡のような現象に惑わされることなく、オウム真理教の実体を冷静に見極めることです。

 オウム問題の根本的解決を一日も早く実現するために、北御牧村のみなさんの貴重な体験を全国に届けましょう。(二〇〇〇年二月二十日)

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