教祖の犯罪に厳しい判決が下ったが、それでもオウム問題は終わらない。
いまだ残存勢力(約千二百人)がいるというだけではない。破壊的カルトに対する社会予防的な警鐘を鳴らすことを目的としない裁判にあっては、犯罪事実に対する判断はあれど、「彼らがなぜ」という切実な問題が浮き彫りにならないからだ。カルトとは人生上の些細な動機で誰でもが関わる可能性のある熱狂集団のことである。若者が抱く自己や社会への素朴な変革願望に侵入する松本智津夫流の手法は、「知られざる世界情勢」を「発見」させ、身体感覚で「自己変貌」を感じさせた。社会性や反抗期の欠如した若者の増大はオウムが組織を拡大させる温床ともなった。地下鉄サリン事件などの犯罪行為が明らかとなってからも入信者がいるのは、いまだ精神の飢渇を吸収する勧誘方法が有効だからである。
オウムは七十トンのサリン製造と散布を計画していた。理論的には日本人全員!が殺害される量である。その製造計画会議に現在のオウム(アーレフと改称)最高幹部の上祐史浩がいたことは信者の裁判で明らかとなった事実である。この人物を「顔」とする組織などの存在を許してはならない。しかも「彼ら」の精神の核にあるのは、あくまでも麻原彰晃(=松本智津夫)なのである。「教祖こそすべて」。破壊的カルトの基本である。オウム残党集団を解体すること。それが私たちに求められている「戦闘的民主主義」の課題である。