有田芳生(ありた よしふ)
 1952 年2月20日、京都府生まれ。1977年から84年まで出版社に勤務。86年からフリーランスのライターとして『朝日ジャーナル』で霊感商法批判キャンペーンに参加。同誌休刊後は『週刊文春』などで統一教会報道。都はるみ、阿木燿子、宇崎竜童、テレサ・テン、服部真澄、石堂清倫などの人物ノンフィクションを『AERA』、『週刊朝日』、『サンデー毎日』に執筆。日本テレビ系「ザ・ワイド」に2007年9月まで12年ほど出演。次のノンフィクションのテーマは「BC級戦犯」として刑死した木村久夫。

『現代公明党論』(白石書店、1985年)
 希望を断たれた失業中にあって図書館に通いつつ完成させた最初の著作。いまから見ればきわめて不十分かつイデオロギーにとらわれた内容だが、第二部の「現代政治と公明党」では公明党と自民党との連立をすでに予測している。


『保守の冒険』(白石書店、1987年)
 フリーとなり最初に原稿を書かせてくれたのは『政界往来』『宝石』『噂の真相』だった。『朝日ジャーナル』で最初に書いた「〈御大典〉にかける京都〈産・学〉の打算」やシミュレーションノベル「昭和最後の日」など、マスコミで書きはじめた初期の原稿をまとめたもの。


『天皇をどう教えるか』(教育史料出版会、1988年)
 渡辺賢二氏との共著。ここに収録した『朝日ジャーナル』の沖縄ルポは、私がはじめて同地を訪れた衝撃を綴ったもの。2週間の沖縄取材は、集団自決で生き残った金城重明さんや天皇奉祝運動を沖縄で支えた人たちから話を伺うのが目的だった。


『霊感商法の見分け方』(晩聲社、1988年)
 『朝日ジャーナル』などを舞台に告発してきた霊感商法の実体を一冊にまとめたもの。実はある出版社から出すことがきまっていたが、統一教会と自民党との関係を書いた章を外してほしいと求められたので原稿を引き上げた経緯がある。


『三洋電機はん パートのおばちゃんでえらいすんまへん』
(清風堂書店、1989年)
 この仕事は三洋電機のパート労働者の解雇反対運動をノンフィクションでまとめたもの。組合などとまったく無縁だった「おばちゃん」の視点で大企業の横暴を綴ったもの。その後、パートのおばちゃんたちは争議に勝利した。


『地球の歩き方FRONTIER ベトナム』(ダイヤモンド社、初版、1989年)
 多くの人との共著。いまでも毎年更新されるこのシリーズだが、最初は「フロンティア」と名付けてあった。ベトナムは当時の日本ではこんな位置にあったのだ。私は88年9月から約40日をかけてベトナムを歩き、この初版本の相当部分を書いている。何と写真も多くは私の撮影になるものだった。


『日本共産党への手紙』(教育史料出版会、1990年)
 毎日新聞論説委員などを歴任し、東京都知事選挙にも出馬した松岡英夫さんと編集、執筆したもので、大きな反響を呼んだ。加藤周一さん、住井すゑさん、新村猛さん、田畑忍さんなど錚々たる人たちが共産党への期待と注文を忌憚なく述べてくれた。私にとっても人生の転機となった思い出の著作だ。


『原理運動と若者たち』(教育史料出版会、1990年)
 霊感商法取材をきっかけに統一教会問題全般を追うことになった私は、尾行や無言電話などの体験をすることになる。政治や経済、文化界にまで浸透する統一教会。取材するほどにこの問題が深みを持っていることに気づかされた。とくに若い世代がなぜ統一教会に魅かれるかという問題関心は、その後のオウムへの取材姿勢にもつながっていく。


『「幸福の科学」を科学する』(天山出版、1991年)
 社会現象となった幸福の科学を、大川隆法教祖の周辺や会員へのインタビューから批判的に検証した。熱心な会員だった作家の景山民夫さんとは広島のホテルではじめてお会いしたのだが、その丁寧なお人柄はいまとなっては懐かしくも哀しい思い出だ。


『統一教会とは何か』(教育史料出版会、1992年)
 有名人が統一教会の合同結婚式に出ることを『週刊文春』でスクープしてからというもの、ワイドショーや週刊誌は数ヶ月間にわたってこの問題一色の様相を呈した。しかし基本知識さえ広がっていなかった事情もあり、急いでまとめたのが本書だ。


『短い20世紀の総括』(教育史料出版会、1992年)
 私が構成者となり、田口富久治、山川暁夫、加藤哲郎、稲子恒夫の各氏に討論していただいた記録。ソ連、東欧の社会主義諸国が崩壊した歴史的衝撃を刺激的な視点で掘り下げている。いまなお有効な方法論が随所にきらめいているはずだ。私は「志は持続するか、あるいは『ニセモノ』の時代を排す」というタイトルで、ベトナム、イタリアの取材体験を自分の名前である「よしふ」という意味と結びつけて書いた。


『脱会 山崎浩子 飯星景子報道全記録』(教育史料出版会、1993年)
 「もうこんなことはありえない」という現実に巻き込まれた私たち(『週刊文春』の松葉仁、石井謙一郎記者に当時担当デスクだった松井清人さんと有田)の行動をほとんど隠すことなく記録している。取材の方法を明らかにしているので、若い世代の参考にしていただけると幸いだ。


『歌屋 都はるみ』(講談社1994年、文春文庫1997年)
 91年から取材をはじめた私を都はるみさんが信用してくれたのは、桜田淳子さんが統一教会の合同結婚式に参加することを表明し、私がテレビでこの問題を話す姿を見てのことだった。統一教会のおかげでこの本の完成に時間がかかったのだが、そのおかげではるみさんに信頼していただけたという経過があった。なお文春文庫版は講談社で出版したものに全面的に手を加えている。


『有田芳生の対決!オウム真理教』(朝日新聞社、1995年)
 95年3月20日に突然起きた地下鉄サリン事件。この2日後のオウムへの強制捜査をきっかけに私の生活は一変した。早朝から深夜までの緊迫した日々。問題を識者と対談し、さらには走りつつ取材して書いたものを新書にまとめた。


『追いつめるオウム真理教』(KKベストセラーズ、1995年)
 本の帯には「疲労の極での緊急刊行」とある。この表現が大げさではない生活にあった私を励ましたのは、毎朝5時半ごろ聞いては出かけた中島みゆきの「ファイト」という曲だった。この本に収録されているTBS「ニュース23」で筑紫哲也さんとともに行なった早川紀代秀へのインタビューの緊迫感はいまでも忘れはしない。このインタビュー終了と同時に早川は逮捕された。


『「あの子」がオウムに』(光文社、1995年)
 この本は『女性自身』の「シリーズ人間」取材班の成果をもとに私の対談などを加えて刊行された。オウムに入信する若者が何も特殊な存在ではないことを訴えた本書は、いまでも有効である。当時といまとで社会環境に変化がないことは深刻だ。日本社会は事件から何を学んだのだろうか。


『私の取材ノート』(同時代社、1995年)
 オウムから統一教会、都はるみさんからテレサ・テン、そしてベトナムなど、私のこのときまでの問題関心を鳥瞰図的にまとめたもの。このなかで藤田省三さんとの会話、さらにはベトナム戦争の指導者ボー・グエン・ザップ副首相へのインタビューは個人的に大きな思い出となっている。ザップ将軍からベトナム戦争秘話を伺って書いた『朝日ジャーナル』の記事は国際配信された。


『「神の国」の崩壊』(教育史料出版会、1997年)
 94年から3年間の統一教会の動向をまとめたもの。とりわけ統一教会と北朝鮮との関係などは、いまにいたる朝鮮半島情勢にも関わっている。さまざまな思い出の詰まった原稿のなかでも、南米ウルグアイで自殺した女性信者の取材は印象的だ。ある夜情報が入り、翌日ただちにウルグアイへ向かうという強行軍だった。


『闇の男 上祐史浩』(同時代社、1999年)
 この年の暮れに出所する上祐に対し、その疑惑を突きつけることを目的に力を込めて書いたのが本書。短い接触のなかで共有した二人だけの「秘密」もここに明らかにした。側近によれば、上祐はこの本を熟読していたという。オウムの現状を把握するうえでの視点をまとめている。

『「コメント力」を鍛える』(NHK新書 2002年)
テレビの仕事を通じての試行錯誤。そこから見えてきたものがある。それは「コメント」(言葉)とは人間関係の基本であり、そこに全人格が現れるという単純な結論だった。とかく批判もあるテレビ出演への思いは正直に書いたつもりだ。これまでの著作でいちばん反響が大きかった。

『私の家は山の向こう』(文藝春秋、2005年)_
 テレサ・テンに約束した伝記を13年かかって完成。細かい事実を積み重ねればそこにシーンが生れることを実感したことが最大の成果だった。中国共産党の機密文書が入手できたときのうれしさは忘れられない。2006年に放映されるドラマ(テレビ朝日)の原作となった。

『酔醒漫録』(にんげん出版、2005年)_ 
 ホームページで公開してきた日記の2000年から2003年までの全記録。第一巻は私家版として自費出版。東京堂書店で販売してくれ、さらには「にんげん出版」の小林健治さんが刊行を引き受けてくれた。人名や飲み屋などの索引が好評だ。読み返してみると記憶の曖昧さがよくわかる。

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