「歴史が、突如、激しい痙攣を起こした」
辺見庸は書き下ろし原稿の冒頭をこう記した。私は想像する。東京近郊にある某市某所の住まいの一室。深夜一人で世界と格闘し、呻吟しているその後ろ姿を。その辺見がいきなり振り向いて鋭い視線でこう問うてきたらどうしょうか。
「私はブッシュの敵の一人であり、ブッシュは私の敵である。ところであなたは?」
私は戸惑う。そして意識して視線を逸らし、沈黙して思いをめぐらすことだろう。私の内面に広がるうろたえを察した辺見は、きっとこう言うに違いない。
「見えない風景を自分の目で見る努力、聞えない音を自分の耳で聞く努力がいまほど必要な時はない。われわれはテレビ映像の何百倍も、想像力の射程を延さなくてはならない」(「東京新聞」二〇〇一年十二月七日)。
これは辺見が記者になったとき、横浜・中華街の古老がアドバイスした言葉でもある。「視えない像を見なさい、聞えない音を聞きなさい」。その意味が気になるようになったのは、共同通信をやめた九六年末ごろからだという(第五章)。「テレビ映像の何百倍もの想像力」で世界の現実に喰い込んだとき、辺見の認識はひとつの言葉に結晶した。
「危機は、おおむね、実時間にあっては、はっきりそれと人に意識されない」
こう書いたのは九九年暮れのこと(『私たちはどのような時代に生きているのか』、角川書店)。たとえば戦争翼賛の「ペン部隊」に嬉々として参加した作家たちがいた。同時代にはすでに蘆溝橋事件も南京大虐殺も起きていた。もちろん作家・小林多喜二の拷問死も。「実時間」(リアルタイム)にあって意識されない危機。そこに連なる「ありえたかもしれないわが恥辱」を想像すれば、「無謬の者の眼ではなく、根源的挫折者の暗い眼でいまを見てみる」という方法が必要かつ有効となってくる(第四章)。「切迫した問題」は危機が「正常の装いをとっている」ことなのだ。
周辺事態法や国旗・国歌法などが制定された「一九九九年体制」から三年目に入る「いま」。歴史が、地球が震えている。いや辺見は「痙攣している」と強調した。日本にあっては「個人情報保護法」など「九九年体制」と地続きの「戦後でも例を見ない巧妙かつ総合的なメディア規制の動き」が国家主義の台頭のもとで進行しつつある(第二章)。さらに突然の「痙攣」をきっかけに制定されたテロ対策特措法。「われわれは、客観的には、いつ終るともしれない”戦中”に、すでにして入っているのかもしれない」(「反時代のパンセ」、『サンデー毎日』二〇〇一年十二月二日号)。
辺見をして「二十一世紀における国家と革命のありようを予見することにも繋がるのではないか」(第一章)と思わせた米中枢同時テロの「深い意味」。「私はブッシュの敵である」と宣言した新稿には、「言説の完膚なきまでの敗北について」というサブタイトルが付けられた。なぜ「敗北」なのか。
言説の「呆れるほど偏頗で不当」な実体と無効が浮き彫りにされたからだ。たとえば一九八二年のイスラエルによるレバノン侵攻。アメリカの援助を受けたイスラエル軍は、子ども多数をふくめた民間人主体に一万七千五百人を殺害した。「問題は人の命であり、人の命の意味を紡ぐ言葉である」。この大虐殺はどれほど報じられ、論じられたか。いや私たちの記憶の片隅にでも残っているだろうか。これは一例にすぎない。アメリカこそ「テロ国家の親玉」(ノーム・チョムスキー)なのだ。
「米国史を世界史と区別し、世界史に優先させて論じる過ち」は、二十世紀の偏頗な歴史でもあった。アフガニスタンもしかり。日本の一都市にも満たない経済規模や低い識字率といった現実への無知は、つい数か月前まで続いていた。私たちのなかで、いや私のなかでも。「言説の非在、無力、その虚偽性」だ。しかも「死を賭した他者たちによる表現行為」に「ただの売り物にすぎない並みの言説などが勝てるわけがない」。それでも情況に対峙する意志が萎えないならどうするか。
「冷静で沈着な動かざる『個』、内面的な豊かな『個』」(第三章)を「単独」で鍛えあげるしかない。私はいまようやく辺見の問いに答えることができるかもしれない。