記憶のなかにいつでも取り出すことが可能な一連のシーンがある。もう四年前のことだ。作家の出久根達郎さん、服部真澄さん、森まゆみさんたちと築地で飲んだとき、二次会のカラオケの場で、ある編集者が軍歌を選曲した。やがて音楽が流れ出し、画面には特攻隊として出撃する兵士たちが映し出された。まだ幼さを残す顔が戦闘服を身にまとって直立している。別れの杯に口を付けた彼らはやがて小さな飛行機に乗り込んだ。滑走し空に浮かんだ次のシーンは敵艦に達することなく撃墜され、黒い煙とともに海原へと落ちて行く場面だった。急に気分が滅入った。ちょうど長男が十九歳になろうとしていたときでもあったからだ。「彼ら」はその年齢で生きることを強制的に切断されなければならなかった。戦争への動員とは本質的に「他殺死」であり「非業死」(渡辺一夫による旧版序文「感想」)なのである。
「日本戦没学生の手記」とのサブタイトルが付いた本書は、いまから四十六年前に「カッパ・ブックス」として出版されたものの「復刻版」である。装幀も当時のままだから、定価は「150円」とあり、表紙見返し部分には「わだつみ像」が置かれる立命館大学の末川博学長(当時、故人)の「人の記憶は生かされ、伝えられ……」との言葉が印刷されている。七十四人が戦地でしたためた文章には、詩や手紙、あるいはルポ(たとえば二十九歳で戦死した渡辺辰夫の「初年兵教育時代」は軍隊の日常を精緻に記録している)のような形式のものもある。まず個人名が明らかにされ、その下部には経歴と死亡日時が明らかにされている。慶応大学を卒業、三重航空隊に入った林憲正の場合、戦争が終わる六日前の昭和二十年八月九日に神風特攻隊員として出撃、鹿島灘沖で戦死した。二十五歳。「遺書」には「父上母上初め兄弟姉妹その他親戚知人の皆様さようなら」とある。さらに「私は今度は『アンデルセン』のおとぎの国へ行ってそこの王子様になります」と書き、「そして小鳥や花や木々と語ります」と続けた。死を直前にして「おとぎの国」の「明るさ」に込めた心情は哀しさである。戦争とはまさに不条理を個人に押し付ける野蛮そのものである。幾多の輝ける知性を消滅させる反知性の暴力でもある。
人間一般などはない。あるのはそれぞれの「宇宙」を内面に持ったかけがえのない個人である。戦争で何人が亡くなったと教科書や歴史書は書くが、死とは断じて統計などではない。読む者のこころに届く言葉には肉体から発する本音がある。たとえば二十六歳で亡くなった大井栄光は、「何物をも恐れないかわりに何物にも反応しないような状態に堕ちて行くのではないかという疑念」を軍隊生活に抱いた。二十九歳で戦死した川島正は、「俺の子供はもう軍人にはしない。軍人にだけは……平和だ、平和の世界が一番だ」と苦悩した。あるいは二十三歳で殉職した柳田陽一は、「わけのわからないものが渦巻のごとく身をとりまく。(中略)何ていう時だ。人間とは、歴史とは、世界とは、いったい何なのだ」と懊悩した。すべての手記は等価に重い。しかし、これらの手記を遠い過去のものとしてではなく、「いま」の課題として読むべきだと静かに問いかけてくるのは、二十八歳で刑死した木村久夫の言葉だ。
BC級戦犯に問われた木村は、上官の厳命に従い法廷で真実を語ることをしなかった。その結果、命令を下した上官は懲役刑となり、無実の木村には死刑判決が言い渡された。刑の執行「半時間前擱筆す」と結ばれた手記は、「敗戦とわかっていながらこの戦を起こした軍部」への批判とともに「満州事変以来の軍部の行動を許してきた全日本国民に、その遠い責任がある」と指摘している。田辺元の『哲学通論』の余白に書かれた慟哭の思いは、歴史への個人の責任を静かに、しかし根源から問うている。本書に記録された戦没学生の嘆きと絶望、そして断たれた生への渇望を自らの血肉とすること。それが現代を生きるわたしたちの歴史への責任なのである。歴史とは過去ではない。「現在」がやがて「過去」となる。いまが歴史なのだ。
(『小説宝石』 2005年9月号)