藤山直美

 この師走。私の手帖にはヨー・ヨー・マや中島みゆき、都はるみのコンサート日時が記されている。そのなかにあって「大阪から来た女」を待つ日々は、遠い昔に遠足を心待ちしたような明るい高揚感が続く時間でもあった。「来週だぞ」「あと二日」「いよいよ明日か」といったこころの軌跡。ただ待つというだけのことに、これほど魅惑されるとは思わなかった。子ども時代にはいきいきとうごめいていた「待つ喜び」。大人になるということは、いつの間にか大切な感情を失っていく道のりだったのかも知れない。

 逃走する女性を演じた映画「顔」ではじめて知った藤山直美。彼女が主演だと知っただけで「おっ、これは面白いぞ」と私は期待した。映画の画面ではない藤山の「顔」が見たいと思った。それに新橋演舞場だ。東銀座駅で降りて朝日新聞に向うとき、いつもその横を通っていた。お弁当が売られているのどかな風景。だが私にとってそこは足早に通り過ぎるだけの「遠い世界」だった。小劇場や井上ひさしの演劇などにはよく通ったものの、私が新橋演舞場に入るのもはじめてである。

 圧倒的な存在感。いや怪物的存在感だ。豊かな表情には人間感情の「すべて」がある。切ない眼差し、すねた視線、歓喜の目許……。語らずとも伝わってくる内面の満ち干。これは演技であって演技ではない。人を感動させるには、その芸人が到達した感動の重層が必ず潜んでいるからだ。この十二月二十八日で四三歳になる藤山が、ここまで観客の気持ちをつかむ秘密は何だろうか。私の好奇心のアンテナは大きく揺れた。

 永島敏行が登場したとき、うしろの席から「カッコイイ」という声があがった。永島だけではない。村井国夫の照れ顔や多岐川裕美の泥酔姿などなど、舞台にあがった多くの俳優の粒は大きい。私にとっては綾田俊樹の飄々とした空気と森奈みはるの爽やかなエネルギーが印象的だった。それに懐かしい歌の数々だ。藤山が歌った「東京ブギウギ」の迫力はいまも記憶のなかに蘇ってくる。この閉塞社会の深まりにあって、このような音楽喜劇がどれほどの人たちを励ますことだろうか。すごい舞台だ。

(「大阪から来た女」2001年12月)

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