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はるみさんにかけた夜中の電話
今年の都はるみさんの音楽活動は、例年行われている全国公演に加えて、波浮の港開港200年を記念して7月26日に行われる大島野外コンサート、12月2日から新世紀(新年は2日からはじまる!)にかけての日生劇場と続く。もちろん私も聴衆の一人として駆けつける予定だ。このはるみさんの魅力について、音楽評論家の中村とうようさんはこう書いている。
「演歌系が衰退するなかでの都はるみのライブ・パフォーマーとしての高度の充実ぶりは、ほとんど注目されていないだけに特筆しておきたい。レコードはあまりおもしろくないが、50歳に達した彼女が歌い込んだ持ち歌をステージで歌うときの集中力は、偉大なソウル・シンガーだったオーティス・レディングを思い出させるほどだ。晩年の美空ひばりを大きく超えたことは間違いない」(『ポピュラー音楽の世紀』、岩波新書1999年)
この新書を手に入れた99年9月のある夜、はるみさんに関する記述を見つけた私は無性にうれしくなった。すでに夜中だったがはるみさんにファクスを送ると、電話をかけることにした。この文章を読んだはるみさんの感想は「プレッシャーがかかりますねぇ」。中村さんがいう「レコードはあまりおもしろくないが」という表現を私なりに理解すれば、はるみさんの歌唱はとうていレコード(CD)に収まるものではない、ということだ。私の知人たちのなかにも、はじめてはるみさんのライブを聴いたときに「鳥肌が立った」「涙が出てきた」などという感想を語る人が少なくなかった。都はるみ=演歌というイメージが音を立てて崩れるライブにぜひ足を運んでもらいたいものだ。
中村とうようさんは、はるみさんの成熟にオーティス・レディングを思い出したが、私はエディット・ピアフ を連想する。そこには生身の女の情念と決して平坦ではない人生があるからだ。
私が都はるみさんを取材の対象にしたのは1991年。最初に出かけたのが三里塚野外コンサートだった。あれから9年。私は都はるみという歌手のどこに魅力を感じているのだろうか。自分なりの思いを綴ったのが次の文章だ。これは1998年2月に大阪の松竹座で行われた関西初のロングコンサートのパンフレットに寄稿したものである。タイトルは「都はるみの『邪宗門』」とした。
作家に文体があるように、歌手にもスタイルがある。時代の流れを見据え、人々の心象に分け入る「構え」といってもいい。本物の表現者たらんとすれば、他の追随を許さない独自の世界を確立すべく、人知れぬ苦闘を繰り返すものだ。それはたとえば、都はるみが一回一回の公演、一曲一曲の歌唱に文字通りの完璧を目指すように、である。
ところが歌謡界には、スタイル=方法への冒険を実感させる作品が見えてこない現実がある。テーマは変われど、表現に差異がない。要するに、誰が歌っても成り立つ世界が、まるで温室のように存在している。
都はるみは違う。疑う者は新作の「邪宗門」を聴くがよい。この一曲のなかだけでも都はるみという歌手の生命力が溢れるほどに漲みなぎっている。「王将一代 小春しぐれ」が歌謡浪曲なら「邪宗門」は歌謡短歌だ。世に言う「演歌」やポップスだけではない。現代の歌手で、これほどの「顔」を持つものは都はるみただ一人である。
「夫婦坂」で四十代前半を、「小樽運河」で四十代半ばを歌った都はるみが、「邪宗門」では五十歳代の生き方を情念込めて歌い上げている。それは、大阪の松竹座公演の最終盤、二月二十二日に五十歳の誕生日を迎える都はるみの「決意」にほかならない。
四十代 この先生きて何がある
風に群れ咲くコスモスの花
「邪宗門」の作詩者・道浦母都子が諦観に浸りつつ、かつて歌った世界は、いまやぐるりと様相を変貌させた。この九八年に道浦と手を携えた都はるみは、物語をつくり、世界を生むために扉を開くのは「わたし」だと強調する。さぁ、動きだそう。「沈黙の世代」と呼ばれた団塊の世代は、突き付けられたこのメッセージに応えようではないか。それぞれの「扉を開く」ことだけが日常を変える。
この松竹座公演から2年。都はるみさんの世界は「大原絶唱」に代表されるように、さらに深まっていった。私は引き続き都はるみさんの世界を紹介していく。

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