都はるみさんが2000年12月2日から東京の日生劇場でコンサートを続けてきた。2000年の公演では、第1部ではじめて美空ひばりさんの曲など他人の曲を歌い、21世紀の新年2日からの公演ではすべて自分の持ち歌で構成した。全部で50回公演。何と70歳代のフアンは44回も観賞。20回通った人など珍しくないほどだった。大阪・松竹座での公演(3月1日から27日)も98年に次いでこれで2回目だ。
私がはるみさんを取材し続けて十年。何度もコンサートに出かけている私だが、この日生劇場の感動が最高だった。もちろんそれはこれまでのコンサートに不満があるというのではない。都はるみという歌手は、年齢を重ねるにつれてどんどんと進化しているので、最新の公演が当然のように「最高」になる。
たとえば――。世紀末に「インターナショナル」(革命歌)!を「かけら」とはいえ演奏で聴くことができたのは、おそらく地球上でこの日生劇場だけではないか。しかもその直後にはるみさんが歌ったのは南北朝鮮の統一を求める「イムジン河」。私はそれだけで鳥肌がたった。最後の「散華」は、はるみさんの新曲。二〇世紀を駆け抜けた多くの人たちへの鎮魂歌。作詩はちあきなおみさんの名曲を生み出した吉田旺さんだ。舞台にたたずんでいるはるみさんのまぶたからは涙が流れ出していた。
燃えたぎる命 いのち懸けてまで
掴もうとした 未来(ゆめ)よいずこ……いずこへ
せめて空に舞え 見果てぬ想いのせて
あゝ海に降れ 散華の花弁(はなびら)
この詩を都はるみという希有な歌手が歌ったとき、言葉に人生の実体が宿り、人を感動させる。残念ながらテレビやラジオ、そしてCDでは決してライブコンサートの魅力を味わうことができない「不幸」。私は国家が補助をして、多くの人たちがコンサートを聴けるぐらいの文化的施策を行うことが必要だとさえ思っている。
私がはるみさんを取材するきっかけは、美空ひばりさんの死にあった。当時歌手を引退していたはるみさんは、「サンデープロジェクト」のコメンテーターをつとめていた。はるみさんが美空ひばりさんの想い出を求められて語った内容に私は愕然とした。それはあらましこういうことだった。
一九七六年のこと。日本レコード大賞は都はるみの「北の宿から」で決まりだと言われていたときのことだ。はるみさんの耳にこんな悪質な噂が入ってきた。レコード大賞には「日本」とあるように、日本人に与えるもの。ところが都はるみの父親は韓国人だから、この賞を与えるべきではない、というのだ。はるみさんは怒った、悲しんだ。歌手をやめようかとも思った。そんな苦境にあるはるみさんを励ましたのが美空ひばりさんだった。自分の体験を語り、こんなことで負けるなという激励だった。はるみさんは思った。「絶対に取ってやる」と。そして「北の宿から」は見事に日本レコード大賞を受賞した。
私はいまだ差別構造の残っているこの腐敗日本で、はるみさんがテレビを通じて堂々と父親のことを語ったことに驚いた。書きたいと思った。私の取材は、なぜはるみさんの父親が韓国から日本に来たのかを知る旅でもあった。韓国の生地にも行き、関係者からも話が聞けた。都はるみというひとりの歌手の誕生した背景にある差別問題。日本人の母親の思い。この経過の詳細にご関心ある方は有田『歌屋 都はるみ』(文春文庫)を読んでいただきたい。
韓国との関わりがあるとはいえ、歌手としての都はるみは、日本の歌謡界の最高に優れた申し子だ。私が見てきたこの女性の魅力はつねに完璧を求めること。きっぱりとした「思いっきり」はいったいどこから身に付いたものなのだろうか。私のいまだ解けない謎のひとつである。