1歳半になったAちゃんは、自分で英語のお勉強ビデオやアニメビデオをセットして操作することができる。子ども用ビデオは長いもので約2時間。2本見ているから4時間。さらにテレビを見る生活が続いている。
そんなAちゃんを見て、「うちの子は集中力がある」と若いお母さんは早期教育の成果を自慢する。
このビデオを利用した早期教育の現状に警鐘を発するのは汐見稔幸・東京大学教育学部助教授だ。
「バブル期にはビデオを見せ続ける無理な早期教育が流行りました。3歳までの子どもは、言葉が確立していないので、頭のなかで物語としての記憶はできない。記憶とは体験を言葉でエピソードにすることだからです。ところが言葉が未確立の段階でビデオなどの影響を受けて作られた自分なりの物語ができてしまうと、そこから逃れられなくなる」
ビデオで与えられた「仮想」の世界が自分の物語として記憶にとどまり、日常を規定する場合がある。創られた「疑似体験」があたかも実際の「体験」であるかのような錯覚。
早期教育が盛んになったのは、「人間の脳は3歳までに75パーセントできあがる」という3歳児神話が広がったことをきっかけにしている。そこで0歳児から3歳までに徹底した教育をと、早期教育が流行になる。さらにエスカレートした結果、胎児教室まで開かれるようになった。
3歳のBちゃんはいつも先生に悪態をつくことで有名だ。ところがお母さんの前ではいっさいそんな姿を見せない。
Cちゃんはパニックボーイと呼ばれるほど、いつも不機嫌にキレまくっている。
こんな子どもがいる一方で、一日中、保母さんにべったりしている子どもや友だちと遊べない子どもも目立つようになった。95(平成7)年ぐらいから全国で報告されるようになった特徴だ。
この背景に何があるのか。汐見さんは「家庭、地域、社会のストレスが子どもにも浸透している」と見る。
「とくに習い事です。幼児でも月曜から日曜までびっしりお稽古事があって生活にゆとりがない」
そうした傾向のなかで「意味あること」とお母さんたちのなかでいまだ流行の早期教育。ところが、ここで多用されたビデオの否定的影響は、時を経た最近になって明らかになってきたようだ。かつて有名早期教育でエリートだった子どものなかにも「ひきこもり」などのケースが生まれていることがわかってきたからだ。
一般家庭にビデオが入ってくるのは再生デッキが安くなった1980年代後半から。95年には家庭への普及率が90パーセントを超えた。
レンタルビデオ店が全国に広がったのも90年代の社会現象。いまでは1000店を越すチェーン店まである。ビデオが1泊200円から300円と低価格になってきたのも95年以降のこと。
早期教育を受けなくとも、家庭でビデオ視聴が当り前となったいま。何が問題なのか。汐見さんは言う。
「そもそも赤ちゃんにとって、形や色そして音がめまぐるしく変化していくビデオの刺激は凄まじいものがある。その一方的刺激に受動的でいつづけることは無力感を作るきっかけになるのです」
家庭教育研究所の土谷みち子さんもこう指摘する。
「ひとりで視聴することに問題があると思います。ベネッセが95年に幼児の母親に聞いた調査があります。幼児がひとりでテレビを見るのは10パーセント前後。ところがビデオになると30パーセント前後。ビデオは2000年になると1歳児では少し減っていますけれど、3歳児ではやはり30パーセントです。」
ベネッセが1歳半から6歳までの幼児を調査(3270人)した報告書は、その要約でこう指摘している。
「ビデオの利用は増加している。特に低年齢で毎日見ている子どもが多い。テレビとビデオを組み合わせて視聴するという傾向がはっきりしてきた」
テレビやビデオ、そしてテレビゲームをひとりで楽しむことが悪いというのか。「大人と子どもの『応答』の関係はキーワードだ」と汐見さんは強調する。
「子どもが自分をありのままに肯定できるかどうか。それには大人が子どものやりたいことに応答しているかどうかが大きく影響します。子どもがサインを出しているときに大人がレスポンス(応答)しているかどうか。これは行動療法の方法論のひとつです。ところがビデオは子どものサインに応答しません。それでは自分が自分の人生の主人公だという基本原則が育ちにくいのです」
土谷さんも強調する。
「母親がいっしょに話をしながらテレビやビデオを見ているのなら問題はありません。ところが状況に応じて対応する訓練ができていない段階でひとり視聴をしていると、3歳ぐらいで影響が現れてきます。友人とうまく関われない、表情が乏しい、ビデオの主人公になった気分が戻らない、などです」
18歳までの人間の一日の生活で、睡眠に次いで多い単一活動時間がテレビやビデオ、そしてテレビゲームだ。時間の感覚は子どもと大人では異なっている。「子どもにとって2週間は永遠に等しい」(精神療法家のミルトン・エリクソン)からだ。乳幼児のときからテレビやビデオを通じた一方的刺激を受けて成長していけば、いったい人間はどのような大人になるのだろうか。この新しい課題への解答はいまだ出されていない。
ある大学生がいる。彼は自分が部屋にいるときに電話がかかってきても、留守番電話に設定したままで、直接出ることをしない。返事をする相手も録音されたなかから選んでかけるようにしている。
「こういう学生がここ10年ほど増えてきているんです。極端なケースでは、隣同士でメールのやりとりをしている」
こう嘆くのは筑波大学の門脇厚司教授だ。いまの子どもたちの問題は「他者」を自分に取り込むことができないことだという。「子どもの社会力」の衰退だ。「社会力」とは何か。それを門脇さんは「ひとつの社会を作り、その社会を維持し、運営していく力」だとする。
具体的な誰かの社会的位置。「この人はこういう人だ」という理解と重ねての「父親、サラリーマン、主婦」といった社会での役割を理解することが「他者」を取り込むことだと門脇さんは説明する。そのための道具が言葉だ。
「ビデオやテレビゲームといったモノとつながり、ひとりで過ごす時間が増えて、生身の人間と付き合う時間がますます少なくなっている。ところが人間と人間の具体的なインターアクション(相互作用)のなかでしか言葉は正確にマスターできないのです」
乳幼児からのテレビ視聴による「初語異変」。現実認識の歪み。その持続による人間観の変容。科学技術の発展がもたらしているものは、利便さの提供の裏側で進行する人間能力の衰退でもある。
テレビの普及、とくにチャンネル数の増加に応じて低下してきたのは、「共同体活動」と「スポーツチームのようなチーム活動への参加」だと精神科医のフランク・W・パトナムは主張する(『解離』みすず書房)。
テレビだけではない。いまやインターネットの影響まで検討しなければならない時代に私たちは生きている。闇の深さは闇のなかにいてこそよく見える。日常生活のなかにほの見えてきた課題にどう対処すればいいのか。これまで紹介してきた事態への処方箋を探ってみたい。