映画「グリーンマイル」や「ミザリー」などの原作者スティーヴン・キング。彼は自分がテレビ世代でなくてよかった、と語っている。
「キング家にテレビが遅れて登場したのは喜ぶべきことだった。……(中略)……来る日も来る日もお粗末なビデオの洪水に溺れて暮らすようになる前に読み書きを学んだアメリカ人作家は、今ではほんの一握りだろう」(『小説作法』)
キングの家庭にテレビがやってきたのは1958年。11歳のときだった。生まれたときからテレビが当り前のように存在する世代との大きな違い。それは想像力の羽ばたきだ。
活字がメディアの主流だった時代。子どもたちは、小説などを読んで「それぞれの想像力」で主人公の世界を思い描いた。生活のなかにラジオが普及したときでも、ドラマの登場人物の声や会話を聴いて、それぞれが心に描く像は「自由」だった。
ところがテレビやビデオの機能は、視聴者に画一的なイメージを与える。キムタクの声はその顔と一体となって視聴者に届く。声を聞いて主人公の顔を想像する精神作業など、もはや必要ない。
日本でテレビ放映がはじまった1953(昭和30)年。テレビはわずか千台しかなかった。銀座のレストランや中野のデパート、そして東京・新橋駅西口広場や日比谷公園などの街頭に設置されたテレビから流れてくるプロ野球や大相撲中継。多くの人たちがそこに群がった。とくに国民的人気が高まったのは、1954(昭和29)年からはじまったプロレス中継だ。
力道山の空手チョップが相手レスラーの胸ぐらに飛び込む。テレビを前にしたすさまじい熱狂。デパートの床が抜けるほどだった。
プロレス人気は学校現場にすぐ反映した。「力道山ごっこ」の流行。それはけが人が出るに及んで禁止措置が取られるほどだった。
映像の影響にはこういう側面がある。行動スタイルや言葉がストレートに刻印されるからだ。あれから半世紀近く。映像刺激はリアリティのうえでも格段の「進歩」を遂げた。
アメリカの精神分析医ベンジャミン・B・ウォルマンによれば、18歳までのアメリカの若者は、学校で1万1000時間を過ごすが、テレビで1万8000件もの殺人シーンを見ているという。
暴力シーンを繰り返し見ることと、攻撃的態度を受け入れ、攻撃的態度を取ることと相関関係があるという米国精神医学会の結論がある。しかし、攻撃的映像でなくとも問題が生じていた。その影の世界にどう対処すればいいのか。
ルナ子ども相談所(03-3816-1665)の岩佐京子さんは、「テレビを消せ」という指導を30年ぐらい前から行っている。
「保健所で3歳児の心理相談をしていたとき、子どもたちの異変に気が付いたのです。しゃべらない、理解力が悪い、落ち着かない。多くは自閉症だと診断されるのですが、私が見てきた限りではそう単純ではなかった」
岩佐さんが行った指導とは、テレビやビデオをともかく見せるな、というものだった。
「異変のある子どもたちの生活は、ともかくテレビ漬けでした。しかしテレビを消すことで症状が緩和される子どもが確かにいるのです。必然的に親の目が子どもに向うというメリットも見逃せない」
自閉症が報告されるようになった昭和30年代が、テレビの普及率の高まりと重なっていることにも岩佐さんは注目している。
日立家庭教育研究所の土谷みち子さんは、テレビ・ビデオ画面視聴のガイドラインとして、具体的にこう提言する。
「まず、テレビ・ビデオの視聴開始は1歳すぎてから。1回に短時間。つまり子ども向けテレビ番組構成の30分以下にして、見終わったら画面を消すことが大切です。ビデオなら巻き戻しをしてはいけません。また、画面はなるべく誰かと一緒に見るように。そして画面を見た時間と同じか、それ以上の時間を外遊びや散歩で体を動かしましょう」
「見せる内容よりも時間が問題」だというのは東京成徳大学の杉原一昭教授だ。
「テレビを見ることでほかの遊びを経験する時間が奪われてしまう。大切なことは、感覚的なことを体験させること。自然のなかでいろんな体験を積むと、それまで発揮できなかった生命力が輝きはじめるのを何度も見てきました」
自然体験だけではない。高度成長は子どもたちから路地裏での遊びを奪ってきた。ビー玉やメンコ、カン蹴りに隠れんぼ。いまや書店に並ぶ懐古風の写真集などのなかにしか見ることができない世界。異年齢の子どもたちが遊ぶことは、社会に出る前に疑似的な「社会経験」を身につける意味があった。その「経験の胎盤」(藤田省三)が消滅した。
しかし過ぎ去った歴史を懐かしんではいられない。いま、子どもたちの生活で何が問題なのか。フランスの哲学者ルソーは『エミール』のなかで書いている。
「子どもを不幸にするいちばん確実な方法は、いつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」
ルソーがこの著作を書いたのは18世紀。過剰生産、飽食、大量廃棄が当り前のようになった現代の物質文明とは比較にならない時代の言葉だ。
子どもたちの生活のなかで、睡眠時間を除けばもっとも大きな比重を占めているテレビやビデオの視聴。この世界に限っても「いつでもなんでも手に入れられるように」なった子どもたち。
川崎医科大学の片岡直樹教授は警告する。
「小児科医を30年近くやっていて痛感するのは、生まれて3,4か月したらずっとテレビを見ている子どもが増えていることです。こういう子どもたちはテレビを切ると泣き、つけると泣きやむ。多動や言葉が出なくなる原因はここにもある。私はテレビやビデオを見るのを制限して、親との言語的・非言語的コミュニケーションを取ることで子どもの豊かな発達をうながすことができると思っています」
「テレビやビデオを見せ続ける親の行為は子どもにどういう影響を与えているのか」。そう問うのは東京大学の汐見稔幸助教授だ。
「3歳までは、痛さ、暑さ、重さ、手触りなど五感的な要素を経験したほうがいい。リアリティ感覚や生きている世界のすごさを実感することで、自分の世界を作り上げていくことにつながるのです。お受験やお稽古、早期教育にこだわる親、虐待してしまう親のストレスは、すべて子どもに出てくるのだと私は判断しています」
「テレビの世界から離れて親がせいいっぱいかわいがってあげることです」――筑波大学の門脇厚司教授はそうアドバイスする。
「0歳から6歳ぐらいまではひたすらかまい、かわいがる。何でもいいのです。赤ちゃんに笑いかければ子どもは子どもなりにアクションしてくる。そういうリアクションが大事であって、しつけという技術を念頭に置く必要はないと思う。人間を好きになるような育て方をしていれば、のちにいくら問題が起ころうと、どれだけ大変な目にあっても子どもは耐えられるでしょう。そこには理屈ではない下地があるからです」
子どもたちや父母と日常的なつながりのある専門家たちから取材をしてきてわかった共通見解は、人間的交流の必要性だといってよい。テレビやビデオ任せにするのではなく、親として大人として子どもに働きかけること。
精神科医の中井久夫さんは、阪神大震災を経験して得たという印象的な言葉を語っていた。
「親の変化を子どもたちが見ている。家族がまとまるのか、バラバラになるのか。子どもたちは傷つきながら経験もしたのです」
日常の生活も同じこと。実は親の変化を子どもたちが敏感に反映している。問われているのは大人世代なのである。