『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』書評
北京公演は実現していたか

岡田充(共同通信編集委員)

 「これからの私の人生のテーマは中国と闘うこと」(94年10月24,仙台)。
この言葉をキーワードに、著者は「中国と台湾をめぐる現代史の『きしみ』が、一人の女性の精神形成に色濃く反映」という仮説を立て、基調をなしている。中台関係こそが、彼女の人生の裏面史であったことに、多くの取材と分析が割かれており興味深く読んだ。その上で、帯に書かれた「謎解き」についての私見と読後感を記した。付録のCDは天安門事件直前の香港での学生支援のコンサートでのライブ録音。涙の鼻声や、風の音が入り臨場感たっぷり。

 「国民党スパイ説」。きめ細かい取材を通じ、根拠のない、あるいは、おもしろおかしく話を作り上げたマスコミの虚報・虚説だったことを論証し、成功している。台湾、香港のみならず、日本のメディアも自戒しなければならない。

 「天安門事件とのつながり…」。胡耀邦、趙紫陽の改革開放路線が、一定の軌道に乗る中、北京青年報の記者「関鍵」が、テンにアプローチする経過はたいへん面白い。中国共産党の路線転換(開放から引き締めへの)の中で、翻弄された「阿Q」の姿がそこに見える。幹部の子弟の立場を利用しつつ、共産党の内部文書を持ちだそうとして彼が逮捕されたことを「甘かった」とみるのは、過酷だろうか。香港誌の「羅冰」は、日本記者も引用する面白い論文を書いていたことを思い出す。私自身も読んだ記憶があるからか。

 「本当の死因」。死因も喘息であることにあまり疑いは持たない。ただステファンとの生活の中で、彼女が「大麻」を吸っていても不思議ではない。それが彼女の精神状態や健康に影響を与えなかったかどうか。さらに「人生のテーマは中国と闘うこと」と述べながらも、ステファンと共に事実の逃避行をしていたのでは?。つまり歌手としての寿命、限界、年齢を自覚し、生活はあれ荒んでいったのではないか。例えば94年10月の仙台コンサートの際の「落ち込み」の理由は何か。ステファンとの争い。紅白出場に向けたキャンペーンが空回りし仕事はかなり不振。健康にも懸念など、いろいろな妄想が沸いてくる。

 「山の向こうにある中国」とは、彼女にとって何か。これが読後に沸いた最大の疑問だ。中国大陸出身の元国民党兵士の父の下で育った彼女の意識の中の「中国」とは何か?

 「中国の共産党の政権が出来てからもう40年。中国人民がとても大変な生活をしてしてきたか、みんな知っている」「中国には新しい希望も抱く。もっといい政府になったら、みんなもいい生活が出来る。民主的な中国になると思って(学生の民主化運動を)支援した」「(香港を離れた理由について)政府は信用できない。自分のいい生活をそのままにしていたら、大きな災難がくる」(弾圧を受けるの意味か?)(92年7月のインタビュー)。

 このインタビューを読む限り、「山の向こうにある」中国は、「民主化され経済的にも豊かな社会」のようにみえる。天安門3周年コンサート(パリ)をめぐる中国民主陣線との確執は、公演の方式やカネが原因とされる。インタビューでテンは「コンサートで中国の民衆にできることをしたいが、事件で学生が死んでいるから、コンサートでうたうのは悪いと思って」と答えているが、本当にそうか。別の原因はないのか?

 彼女が生きた時代の台湾の変化(国民党と反国民党の激しい対立。外省人と本省人の確執)に本書は、あまり触れていない。彼女にとっての「中国」は、台湾内部のアイデンティテーの相克と関係しているように思う。政治に強い関心があったとすれば、その部分に是非触れて欲しかった。ただ、彼女は香港など外地で生活していたため、台湾内部の政治的対立に直接絡むことはなかったのかもしれない。

 2000年の政権交代で、台湾独立傾向が強い民進党が政権をとったことについて、彼女はどう考えただろう。中国が経済大国への道を歩み始め、台湾の経済一体化が進むことをどう受け止めただろう?。やはり「共産党の独裁」「民主的な社会」ではないとして、大陸での公演を拒否するだろうか。それとも台湾内部の政治対立のなかで、彼女と立場の近い親民党や国民党と同一歩調をとり、北京でコンサートを開いていただろうか。
(了)  

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