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| 7月12日(木)公示日。新党日本のヘッドオフィスで待機。10時半から築地で第一声。ビラを配り「有田カー」で出陣するとき、築地で働いている人、買い物客から熱い拍手が起きて感動。新橋へ。横断歩道でとまったとき、丸川珠代さんが真っ赤なスーツ姿で歩いていた。眼が合う。何だか大変そうと思ったのはマスコミの冷たい視線を知っていたからだろう。池袋から大山へ。事務所には中村一好さん、坂口昭さん、梅原さんに加えて都はるみさんのファンクラブのみなさん、そして前畑博さんの顔もあった。 7月13日(金)高速で柏へ。市内を街宣して駅前で演説何度か。小さなハンドマイクで話をすると、立ちどまって聞いてくれる方々が増えていく。終ると拍手がありホッと力が抜けていく。さらに錦糸町。同じく年金問題を中心に「辻説法」。ビラを手にしてくれる方々が多いこともうれしい。どこに行くにもスタッフはわたしを入れて4人。25万枚ものビラに1枚づつ証紙を貼り、それを配れるのも特定の運動員に限られるとは!公選法はまったくおかしいことを実感する。大山の事務所に行けば中村一好さんが昨日に続いて証紙貼りなどの作業をしてくれていた。近くの喫茶店で政見放送の準備。平河町の本部に行き、田中康夫さんと簡単な打ち合わせをしてNHK。田中さんを中心に話してもらい、適宜話の流れを作っていくことにした。午後6時半から収録。これまた不思議な制度で各党とも持ち時間は17分。比例候補が30人もいる党は、一人あたりが20秒ほどの挨拶しかできない。しかも2回までの収録が許されているけれど、取り直した場合には1回目の収録はボツになる。終ったところで試写をすれば、もはや2度目の収録はできないという決まり。「どうして17分なのですか」と担当者に聞いても「わかりません」。収録は1度で終了。あとから思えば大事な部分を言い忘れていたことに気付くが仕方なし。品川から京都に向うはずだったが、新幹線は満席。3連休の影響だろうか。急きょ品川のパシフィックホテル東京に宿泊。なじみのセラーバーに頼んで部屋を取ってもらった。
7月14日(土)品川発の始発「のぞみ99号」で京都へ。朝8時過ぎから市内を街宣。10時から四条河原町の高島屋前で演説。雨にも関わらずビラを受け取ってくれる人たちが多い。取材してくれた新聞記者が「これほど握手をしてくれる候補者はいませんよ」と言われる。組織なきわたしたちは、こうした気持ちに依拠して進んでいくしかない。新京極から錦市場へ。昼食は学生時代から行きつけの大衆的中華料理店。「週刊文春」の大久保千広カメラマンから焼きそばと餃子を食べるところを撮影される。市内を回りスポットで演説。夕方に大阪に移動。環状線で鶴橋。若い世代が声をかけてくれるということは、どこかで選挙に出たことが報道されているのだろう。「寿し吉」の店頭と店内にわたしのポスターが貼ってあった。掲示されたものを見るのはこれがはじめて。忘れないうちに記録ひとつ。立候補したことはすべての新聞で報道された。そこで報じられるのは基本的には名前と年齢、そして職業だ。その報道資料は新党日本から提出されたものである。したがってわたしの職業は「ジャーナリスト」あるいは「著述業」となっている。ところが「赤旗」だけは「フリー記者」。何だか怪しげだなあと思えるのであった。まあ何でもいいのだけど、共産党から比例区に出るある候補者は地方の党関係の新聞に属する記者らしいが、肩書きは「ジャーナリスト」。ふーん、誰がわたしの公認された肩書きを改ざんするんだろうかななどと思うのであった。この間の報道も、新党日本を出ていった改憲議員を擁護するかのような記事なんだから。その心根は興味の対象だ。
7月15日(日)新神戸から東京へ。いま京都駅に着いたところだ。午後8時47分。「のぞみ48号」で記録を書いている。「あの熱気にはどういう政治的意味があるのだろうか」。そんなことをボンヤリと考えている。昨夜の報道では台風4号のため大阪は暴風圏に入ると知らされていた。ところが朝起きると曇り空。午前中は天神橋筋の商店街で2時間ほどの街頭宣伝。昼食は「松屋」で牛丼。午後は大阪駅と阪急百貨店の間で宣伝。公明党の宣伝隊がすでに場所を使っていたけれど、市会議員のYさんが道路を隔てたところを譲ってくれた。またたくまに宣伝物がはけていく。夕方に街宣をしながら神戸。プレスリリースをしていた元町の「大丸」前では共産党の街頭演説が行われることが現場でわかった。仕方がないので少し離れた場所で街頭演説と宣伝物を配布。移動するとき志位和夫委員長が演説中のところを通過。組織動員とはすごいもの。わたしたちはただ「辻説法」を行い、そこで立ちどまってくれる人たちに語りかけるだけ。負け惜しみでなく思うことは、この真剣勝負はなかなか刺激的なのだ。たまたまの邂逅。そこで話を聞こうと思う人だけが、たたずみ、そして拍手をしてくれるのだから。大きな宣伝カーに立っている山下よしき比例区候補(「芳生」という漢字はわたしといっしょだ)が、わたしを見て、何度もうなずく合図をしてくれた。志位委員長の話を聞いている人のなかからもわたしに手を振ってくれる人たちもいた。面白いなと思う。まだ時間があるので三宮へ行き、再び元町の「大丸」前。びっくりしたのはここでのこと。まさに熱狂としかいいようのない反響があった。宣伝物を受け取る人たちが向こうから来てくれる。しかも次から次へ。そしてデジカメで、あるいは携帯で撮影会の様相だ。なかには「共産党に入れるつもりだったけど、有田さんに入れるわ」という人もあり。「自民党から出ていたら確実に受かるのになあ」という声も。この間は「民主党やったら当選は簡単やのになあ」とも言われた。あくまでも異端でいること、そこに輝きを感じているから、これでいいのだ。ここのところ毎日のように届く声(メールや街頭)は「これまで自民党に入れていたけれど、こんどは有田さんに入れることにした」というものだ。自民党離れの票がどこに行くのかもこんどの参議院選挙の興味深いところである。新幹線の時間があるので仕方なく新神戸へ。その途上でも手を振る人たちがひきもきらずにズラリといる。しかもワイドショー世代ではない若者までがだ。なかには道路の向こうで大きく手を振って「がんばってー」と叫ぶ女性がいた。「これは何だろう」。読売新聞が行った最近の世論調査では新党日本の支持率はわずか0・1パーセント。しかし、街頭での反応とはまったく異なる。この落差の正体はいったい何だろうか。6月4日に記者会見をしてからいままでで最高の反応なのだ。いくつかの仮説はある。その背景についてはおそらく投票結果が出たときに書くことになるだろう。 7月16日(月)書きたいことが多いのに、明日のことを思えば要旨のみ。朝は巣鴨の地蔵通り。午後から浅草の雷門。「何だこの熱狂は」と驚くばかりの事態に遭遇。昨日の神戸以上なのだ。スタッフのD君が「休んだ方がいいですよ。顔が真っ赤です」とアドバイス。しかしやめるわけにはいかない。表現するとすれば岡本太郎さんが叫んだように「爆発だ」。国民新党のK候補は、なぜか何も語らずに黙々と歩いているだけだった。「どうしたんだろうか」と思ってしまうのだった。銀座「三越」前で街宣。国民新党のベマ候補が演説をしていた。「ヤンキー先生」もまた街宣。拍手はまばら。たまたま福家孝さんと遭遇。「もう選挙はやらないんですか」と聞いてしまった。福家さんは何度か国政選挙に出たことがあるのだった。前回は2年前に民主党から大阪で立候補して落選した。選挙がダメでも自分らしい生活をすればいいのだなとふと思ってしまった。有楽町のビックカメラ前で凱旋。ここには中村一好さんをはじめ、都はるみさん関係の「同志」が大山の事務所から駆けつけてくださった。車から出ようとしたら何と小中陽太郎さんがいた。小田実さんの病状を聞く。厳しい。大山の事務所に戻り、午後8時で選挙活動を終了。久々に地元の「遊菜」で夕食。 7月17日(火)朝3時半起床。羽田発7時のANA51便で札幌。到着してすぐに市内へ。大通り公園などで街宣。喫茶「RANBAN」にビラを置いて、昼食は「三平」で味噌ラーメン。このあと小樽へ移動して都はるみさんの歌った「小樽運河」で街宣をする予定だった。ところが函館でNHK記者が取材してくれるとの連絡。仕方なくそのまま函館へ。途中でグリーンピア大沼に立ちより、職員から話を聞く。函館へ。まるで冬の寒さ。丸井今井で長袖のマオカラーを買って着替える。夕食は中村一好さん推薦の「函館山」。イカのわたが珍味。 7月18日(水)朝5時起床。函館の市場でビラを配布。親切なM商店のTさんが先導して各店を紹介してくれた。ここにも「一期一会」あり。フェリーで青森へ。船内では市場で買った「うにイクラ弁当」をスタッフとともに食べる。しばし仮眠。青森の新町で街宣、反応よし。記者が10人ほど来てくれたことにいささか驚く。昼食は「ザ・ワイド」取材のあとに昨夏訪れた「朝市寿司」。高速で岩手県の盛岡。フジテレビ系の「岩手めんこいテレビ」などの取材あり。再び東北道で仙台。共産党の宮本顕治さんが98歳で亡くなったとの速報。選挙に出ているときゆえの感慨あり。朝日新聞からコメントを求められる。
7月19日(木)仙台で早朝の街宣をすべく目的地へ行くと、すでに某大政党が場所を確保していた。仕方なく道路の反対側へ移動して演説をはじめる。すると道路反対側にいた黄色シャツで統一した某政党運動員がこちら側に増員され、演説中のわたしの前をウロウロする。気が散って仕方ない。人のことなどお構いなしだ。アンモラルの野党第一党ではなあ。取材をしてくれた朝日新聞の女性記者も呆れ顔。男性ばかりで10人ほどの黄色集団がいなくなると同時にビラがはけるはける。わたしたちは総勢4人のみ。福島、郡山、宇都宮で街頭宣伝。うーん、わからない。公示を境に一変した街頭の好反応。世論調査の「冷めた」数字と実感とが大きくかい離しているのだ。大山の事務所に戻り、午後9時から澤田篤さんと後半戦に向けての作戦会議。 7月20日(金)4時起床。7時20分のANAで鳥取の米子。雨が強くなったり弱くなったり。島根の松江駅前で街宣。中国新聞記者の取材あり。駅近くでのビラ撒きは、T君、K君とわたしの3人のみ。それでも8割りは受け取ってもらえる好反応。米子へ戻り、激しい雨中を大型スーパー前で街宣。朝日新聞記者の取材あり。鳥取市内へ移動して祖父母の旧宅近くを街宣。小学生時代のおのれの姿が見えるようで懐しい。鳥取駅前で演説。毎日新聞記者の取材あり。雨中を京都へ。午後10時過ぎ、激しい雨のなか、木屋町の「たこ入道」へ行き夕食。たまたま30年前の常連が集まっていた。ビラをすべて配布。日航プリンセスホテル泊。 7月21日(土)D君、Yちゃん、そして京都在住のKさん、そして昨日までいっしょだったT君、K君とともに朝から四条大宮、木屋町、円町、四条河原町で街宣。夕方は奈良ヘ向う。近鉄奈良駅前で街宣。すこぶる反応良し。移動途中の公園に鹿遊ぶ光景にホッとする。大阪で宿泊。バーでギネスにシングルモルトウイスキー。新聞各紙で厳しい情勢評価。どういう世論調査かと調べる。コンピューターで無作為に電話をかけ、目的数を獲得すればそこで評価ということはわかる。しかし音声で支持政党はどこですかと聞き、たとえば自民党なら「1」、民主党なら「2」と押していく。新党日本などは7番目。ミニ政党は正確な数字は出てこない。昔は新聞社の世論調査はすべて対面調査だったという。NHKは億の金額をかけて5万人ほどの対面調査を行っている。しかし、その結果は公表しない。正確さはこうした調査から出てくるのだが、それでも無党派層の動きによって情勢は一変する。だから現実とは面白いのだ。 7月22日(日)午前10時の通天閣。都はるみさんと合流して宣伝活動。もともとは大山の事務所で証紙貼りを手伝ってくれたうえで、「有田芳生応援のミニコンサート」を行ってくれる予定だった。ところがはるみさんサイドから街頭での宣伝活動をしたいとの申し出があった。まさに感謝あるのみ。そこにファンの方々も参加してくださるという。
7月23日(月)東京で都はるみさんが再び選挙活動に協力してくれた。最終便で沖縄へ。 7月24日(火)朝の5時に目が覚めるようになってしまった。うとうととして6時から動き出す。7時半からジャンボタクシーで沖縄県庁付近へ。街宣車がないので運動会などで使うアンプを使って宣伝。引き続き国際通りへ。立っているだけでも汗が吹いてくる。力を込めて訴えるので、全身汗まみれになる。平和市場を歩く。ここでも反応はいい。国際通りを突き当たるというので、沖縄第一ホテルに立ち寄る。ほぼ3時間しゃべりっぱなし。那覇空港へ。昨夜から取材申し込みがあった「週刊新潮」記者に電話。いつもなら「コメントを欲しい」というものが、はじめて「回答を欲しい」という。何だろうか、スキャンダルなんてあったかなあと思えば、選挙で苦戦しているとの報道についての、いささか意地悪な質問だった。世論調査の仕組みなどについて丁寧に答える。でもなあ、戦闘中の者にとっては、いかなる質問も意味を形成しないのだ。ANA484便で福岡。Gさんの運転で、Aさん、Y 7月25日(水)選挙戦も最終盤。候補者、陣営のボルテージが上がってきたからだろう。街頭の反応がさらに変化していく。これまで地方で配っていたビラが1日で500枚だとすれば、いまは3000枚。鹿児島の天文館で配布中に個人ビラがすっかりなくなってしまった。朝8時から熊本駅、熊本市役所、下通り入り口で街宣。八代へ移動。街宣をして麻原彰晃(松本智津夫)の実家に向った。地下鉄サリン事件からしばらくして取材で訪れてから12年。すでに父母も長男も亡くなり、そこは更地になっていた。諸行無常だなと思う。鹿児島へ向かい、街宣。気温は35度、暑い。あちこちで期日前投票で入れてきましたとの声を聞く。最終のJAL1878便で東京。久々につかの間の「はら田」で遅い夕食。
7月26日(木)27日(金)終日都内を街宣。「ザ・ワイド」のBさん、週刊文春のNさん、エッセイストの岸本葉子さんと遭遇。 7月28日(土)最終日。池袋、赤羽、上野で街宣。昼食は神保町「ランチョン」。金ペン堂に挨拶。東京堂書店で佐野衛店長に挨拶。吉村昭さん最後の随筆集『ひとり旅』(文藝春秋)を購入。銀座、新橋、虎ノ門から吉祥寺へ。「打ち上げ」前に路地で話をしていたら、真剣な顔をした男性がじっと話を聞いていた。終ったところで「聞いてくださってありがとうございます」とお礼を言うと、何と元三鷹市長だとわかる。「あなたの話はとてもいい」と誉められてしまった。午後6時から都はるみさんも来援、ビラを配る。最後の演説は教育問題。到着した田中康夫さんと合流。短い挨拶をして大山の事務所に向う。午後8時前。スタッフや都はるみファンサークルの方々にお礼の挨拶。「まったく悔いはありません」と気持ちを語り、はるみさんからも挨拶。いつの間にか声が出なくなってしまった。昨夕からの演説に原因があることはわかっている。喉はまったく痛くもないのに声がでない。雑務を終えて近所の「nana-iro」へ。澤田篤さん、「ザ・ワイド」の小林浩司さん、奥田さん、太田さん、そして家人とともに夕食。短い日々だったと思う。遊説先での一期一会。そして支えてくれた方々の温かさに人間の連帯の高貴さを強く思うのだった。選挙戦の手応えは投票行動にどう表現されるのだろうか。
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