21世紀初頭の統一教会はどこへ

 ここに紹介するのは、3月17日に行われた第31回全国霊感商法対策弁護士連絡会の東京集会での私の発言に補筆したものだ。『全国弁連通信』への掲載を求められたとき、時事的にいって南北共同宣言と統一教会との関係を掲載したほうが意味があると思い、この発言掲載を見合わせていただいた。しかし最近では統一教会の現状を報道するマスコミもいくつかあるが、細かい事実が誤っているだけではなく、瑣末に流され大局的な判断がなされていない。そこで2000年以降に統一教会がどう動こうとしているのか、さらには衒学的なマインドコントロール議論への疑問にポイントを絞った私の発言を掲載する意味もあると思った次第だ。

感性が鈍磨する時代

 去年から今年に入りまして非常に気になることがありました。というのは、2000年に入ったということでミレニアム、ミレニアムと、新千年紀ということが強調されましたけども、世の中の風潮として考えなければいけないのは、むしろミレニアムよりも世紀末だと思います。それはテレビにかかわっていますと、非常によくわかる。例えば昨日、ザ・ワイドという番組ではいちばんはじめに大阪で通り魔が中年の男性を殺害するという事件を報じました。これはテレビの面白さでもありますが、翌日、つまり今日になれば瞬間視聴率が出るんです。つまり2時間番組があれば、その通り魔事件をやったときに視聴率が例えば15パーセントだとする。この15パーセントというのは一般的にいいますと1500万人の人が見ているということになる。時間帯にもよりますが、1パーセントが100万人と推定される。ところがその次に警察の不祥事の問題をやったら、その15パーセントぐらいあったのが一挙に10パーセントぐらいに落ちて行くというように、瞬間視聴率を見ることで、世の中の関心、動向というものがどうなっているのかを判断するうえで1つの材料になると思っています。
 そういう意味で深刻だと思うのは、この5年ぐらいのスパンで見ると、オウムの事件があった、その前に阪神の震災があった、そして神戸のサカキバラ事件があった、和歌山のヒ素カレー事件があった、というように一連の凶悪事件が続くなかで、昨年末にはライフスペースあるいは海江田塾のいわゆるミイラ事件がテレビで報じられました。ところが視聴率はどんどん落ちていく。少なくとも5年前なら、こんな事件を報道すれば、えっ、そんなことが起きたのかということで、3日も4日どころか1週間くらいは世間の関心を集めていました。ところがライフスペースの事件にしても海江田塾にしても、せいぜい2日しかもたない。視聴率レベルで判断すれば、2日で世間の関心は薄れている。その現象が何なのかと考えたときに、やはり世紀末だなあと思うのです。私たちが長年努力をしているこの統一教会問題に対しても、世間の関心がどれほど持続しているだろうか。かつてほどではなくなってきている。それほどの感性の麻痺が、この数年間、日本社会で起きている。それは非常に深刻だと思うのです。
 世間の関心は移ろいやすくても、ライフスペースや海江田塾、オウム真理教も統一教会も、解決しなければいけない問題はどんどん増えてる。しかし世間の関心が持続しない。だからこそ大事な問題があるんだということをこういう集会もふくめてもっと強調していかなければいけないだろうと思っています。

統一教会の40年

 では統一教会はいまどのような位置にあるのか。日本の統一教会は1959年の10月2日に発足しました。昨年(1999年)で40周年。統一教会の幹部がどう総括しているのでしようか。1960年代は学生中心の原理運動、つまり宗教1本でやってきた時代だった。70年代は社会党、共産党を基盤とする革新自治体が全国で広まって行くのに対して統一教会、国際勝共連合が非常に危機感をもった。むろん自民党や財界などが抱いた危機感を、別動隊としての勝共運動が前面に出て支えるという10年間だった。それが80年代になってくると地上天国を実現するという文鮮明の指示に基づいて経済活動が全面に出され、そこから霊感商法が生まれてきました。いまは政府による法定管理下に置かれるほど経済破綻をきたしていますが、韓国で統一産業とか一和、あるいは一成建設、一信石材などが株式上場していく。ドイツにおいても、モンダナ、ジハイルゲンシュタット、ホンスベルグというような工場を買い取る。日本においては、その後矛盾がおきましたけれどワコム、アメリカではワシントンタイムズ、中国ではパンダ自動車、ウルグアイでは銀行、夕刊紙、ホテル、ベトナムではメコン自動車というように世界各地に経済的基盤を作っていった。地上天国実現のための10年間だったという総括をしている。注目すべきは、中国にパンダ自動車で進出することで、いろいろな政治的つながりができていった。北朝鮮に進出するルートも中国との関係から生まれたそうです。統一教会としては、いずれ北朝鮮で合同結婚式を行いたいという意向があることも忘れてはなりません。
 90年代は世界平和女性連合、文鮮明の奥さんである韓鶴子を中心にやっていく時代だった。そして2000年以降は青年の時代。2世の時代にするんだと位置づけられている。そして先ほど言いました北朝鮮との関わりで言えば、北に自動車工場を作る許可はもうすでに出ている。金剛山開発もそうですけれど、自動車部品を日本から持っていって、北朝鮮で組み立てる。そしてトラック、バスを北朝鮮の国産という形で製造していきたいというのです。ピョンヤンに教会を作る計画もあります。文鮮明が生まれた場所に平和公園を作る計画もある。ホテル経営はすでに行われています。そういう形で北朝鮮に進出していくなかで、いずれ合同結婚式をやりたいのが文鮮明の願い、夢なのです。
 ただ、注目しなければいけないのは2000年以降は青年の時代だということで2月10日、文鮮明の80歳の誕生日以降はできるだけ公式の場に出ることを控えていくと本人が内部で語ってる。そして1969年4月10日生れ、現在31歳の息子ヒョンジンを実質的な後継者として前面に出していく。これが統一教会が21世紀当初に考えている大局的な計画のようです。

マインドコントロール議論の問題点

それに対して、私たち統一教会問題を解決していこうという立場の周辺で、カルトの問題、マインドコントロールの問題、それらについて様々な議論が出てきている。この課題も建設的に深めていけば非常にプラスになると思うので一言そのことについても触れたいと思います。ここにいらっしゃる浅見定雄先生とか西田公昭先生、あるいは弁護士の方々などはもう釈迦に説法で、いうまでもないことだと思いますが、マスコミでの議論そのものが、概念が前面に出過ぎているという懸念をもつのです。
 政治思想史の藤田省三さんが指摘していることですが、概念以前の「元」が大事なんだということです。国語辞典的にいえば「原質」の大切さです。1つ1つの要素、その成り立っているものの根源のところ、概念ができる前のもの、そのことをもっと見なければいけないんではないか。マインドコントロールについてのいくつかの議論を拝見して思うのはこのことです。言葉を変えて言えば「現場」を知らない人が概念を駆使してあれこれと事態を複雑にしている。
 例えば、自由、義とか、礼とか智とか、まあ色々ありますけども、仁ということにしたって、もともと文化人類学でいえば、例えば古代国家でタロ芋をとった、それをみんなで分けようじゃないかとなったときに、最高責任者は、自分が責任者だからといって1個2個をそこからくすねてくるんじゃなくて、他の人たちにたくさん与えるようなことが役割だった。そこから仁義の仁という概念は出てきてるそうです。そういうことはいくらでもあるわけで、例えばカルトであるとか、いわゆるマインドコントロールであるとか、そういう概念が一体なぜ必要になったのか、どういう現実があったのか、ということがもっともっと強調されなければいけないと思うのです。江戸時代には荻生徂徠あるいはそれを支えた優れた研究者たちが沢山いたけれども、仁義の仁という概念については語るけれども、その概念になる「元」の議論が非常に弱かった。そういう反省を日本の学問の世界はすべきだと思うのです。日本のマスコミや評論家はどうしても前頭葉肥大の傾向がある。そうではなくて、概念が作られなければいけなかった理由はなんなのか、そのもとになる現実はなにかを考えならない。統一教会の問題についてもオウムの問題についても、親御さんたちが何故そういう努力をしなければいけなかったのか、弁護士がどう努力をしなければいけなかったということが、もっともっと光りをあてられて、そこから概念そのものも豊かにしていかなければいけないんだろうと思っています。具体的な議論にはいま立ち入りませんけども、そういう立場で今後も考えていきたいと思っています。
 作家の大江健三郎さんが昨年『宙返り』という小説を発表しました。オウム真理教事件に刺激をされて、もう小説は書かないと言っていた大江さんが上下2巻の小説を講談社から出しました。その上巻の168頁に、非常に興味深い記述があります。17世紀にユダヤ教のメシアだったサバタイという人物がイスラム教に転向してしまった。ところがメシアが転向したから、その教えはなくなるかといえばそうはならなかった。ヨーロッパをはじめとして広がっていったのです。トルコ、東ヨーロッパ、中央アジアなどに。宗教とはそういうものでしよう。しかし、300年経ったこの21世紀になろうとしてるときに、じゃあサバタイ主義って何かって学者の方々に聞いても、えっ、そんなのがあったのかという反応が返ってくる。統一教会の問題もオウムの問題も、今から300年たてばきっとなくなってると私は思います。今日、明日あるいは来年という形では根本的な解決にはならないでしょう。しかし200年、300年の単位で考えれば、統一教会もなくなっいるでしよう。その努力を今年もまたみなさんとともに続けたいと思っています。

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