テレサ取材日記(パリ編)

私がテレサの遺族の連絡を受けてパリへ向かったのは98年5月のこと。マンションを売却するので、その前に内部を見ておいてほしいという。ここに現地で記した日記の一部を紹介する。なお公開を前提にしたものではないのでまったく推敲されていないことをお断りしておく。「注」という表記で最小限の説明を加えた以外は当時のままだ。
 5月18日
 昨日4時30分ごろパリ着。
 空港からタクシーでナポレオンホテルへ。荷物を置いてホテルのまわりを歩く。すぐ横が凱旋門。夜から広岡さん、通訳をしてくれる小林さんと打ち合わせ。今日は朝9時から行動。ジム・テン(注、テレサの弟)から聞いていたリン・チェンさん(テレサの荷物を動かす役割の人)がつかまらず。弁護士を通じて分かったことは、ロアール城へと観光。仕方なくテレサが通った「富春酒家」。店主に話を聞き、息子にも話を聞くが、大した成果なし。朝から凱旋門に登って、カルチェ・ラタン、ルーブル博物館とまさしく観光だ。テレサが住んでいたマンションをながめたりしつつ、あるいはルーブルのミケランジェロなどを見ていて考えたのは、今回の本は羽仁さん(注、歴史家の羽仁五郎。1901〜83)が「ミケランジェロ」を書いて時代を書いたように、テレサを通じて時代(中国ー台湾ー日本関係)を書くことだと固まってきた。
 夜は一人放り出される格好になったので、ブラブラしつつホテル近くのレストランへ。すべてフランス語でさっぱり分からず。適当に注文して、でもおいしかった。21日には時間ができそうなので、何とかランボー(注、詩人。1854〜91)の生まれたシャルルロワ(ベルギー)へと足をのばしたいと思っている。「本の話」(注、文藝春秋の書評誌)のエッセイのためにもであるが、同時に20歳ごろの感慨を現地に行って確かめたいという気持ちも大きいからだ。「居酒屋みどりで」という詩にでてくるシャルルロワ。何か面白いエッセイが書けそうな気がしてきた(注、このエッセイは「本の話」98年7月号に「詩人ランボーに魅かれて」というタイトルで掲載)。

 5月19日ー20日
 人が死に他人がそれを記録する。何とも寂しい思いがしてくる。テレサのマンションは没後3年が経ち、当時のたたずまいに加え、その後、家族などが荷物を、しかも大あわてで動かした、そのままなのだろう。でもその基本にはテレサの日常の生活の跡が厳然として存在していたのである。 CD、小型のピアノ、好きだったのだろう、ひょう皮のソファー、居間からテレサの部屋へ行くと一人用のベッド。窓際に置かれた机の上には、ペン立て、辞書、詩集など。そしてパワーブックも置いてあった。その横にはステファン(注、テレサと同居していたフランス人)の部屋なのだろう、多くのレコードがあり、そのまた横の部屋には旅行かばんなども。バスルームの化粧品などもそのままにしてある。 テレサの単行本の中には詩集もあったが、中国政治についてのものもあった。天安門の影響はこうした形でも現れていたのだろう。
 夕方からはアメリカ大使館前でFDC(注、中国政府に対する反体制運動組織)フランス会長の チェさんから話を聞く。天安門事件当時、武漢大学の学生。目の前で銃を乱射された体験者。死の淵からの生還者ゆえの深い目をしている。彼からの取材でテレサについての本の第1章は書ききることができそうだ(注、その後、構想はまったく変更した)。
 さて、今朝(5・20)は、パリ北駅から電車に乗ってベルギーのシャルルロワへ。ランボーが詩の舞台にした土地だ。ナミュール(Namur)行きの列車。午前11時1分発でシャルルロワへは12時52分着(シャルルロワ南駅)。シャルルビルメジェール(ランボーの生地)―とパリで出ているガイドブックにはあるが、日本の文庫本では堀口、小林本(注。堀口大學、小林秀雄の新潮文庫、岩波文庫)ともにシャルルロワとなっている。いったいどちらが本当なのだろうか(単純な誤読。生まれはシャルルヴィルだった)。

 5月21日
 もう帰国の日となってしまった。昨夜はシャルルロワからパリに着いたのが午後10時前。通訳の小林さんに連れられて貝類の食べられる店へ。ホテルへ戻ったのが0時スギだったので、今朝はゆっくり。それでも11時前にcheck outして、シャンゼリゼ通りをゆっくりと歩き、アメリカ大使館前の公園のベンチでこのノートを書いている。ベンチで新聞や本を読む人、ただボンヤリと座っている人、そしてカップル。緑に囲まれて、ただただゆっくりと時間の流れにまかせる。優雅だなあ。取材は実質3日間。今日の空き時間を入れて滞在4日。

 この日記にはテレサ取材に触発され、テレビの仕事を続けることの是非をふくめて、さまざまな思いを書いている。ただ、いまに到って考えることは、時が過ぎゆくことで得ることができた成熟があるとすれば、その思いをテレサと約束した彼女の人生を真剣勝負で書ききることだという単純な結論だ。

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