詩人ランボーの自由

 ベルギーのシャルルロワの駅前広場から街並みに向かって歩いていくと、小さなサンブル川が東から西に向かって静かに流れている。橋を渡った左右にはれんが造りの建物が見える。向かって右側奥が「グランドホテル」という四階建てホテル。地元の図書館で調べると、百三十年ほど前は「希望ホテル」といった。

 当時、この建物の一階に「みどりの家」というキャバレーがあった。詩人ランボーが「居酒屋みどり」とうたったその店である。いまでは裏手にまさしく「ランボー」と名付けられたレストランが営業している。

「八日この方、石ころ道を、歩きつづけた僕の靴/すっかり破れてしまってた。シャルルロワへといま着いた」(「『居酒屋みどり』で」より)

 私が、堀口大學訳の新潮文庫版『ランボー詩集』を京都市の河原町通りにある駸々堂で手に入れたのは一九七四年のことだ。定価は九十円。『戦後革命論争史』などの著作や人柄の豊かさで私が影響を受けていた上田耕一郎たちが、一九四七年に旧制一高の記念祭と二・一ストの準備で製作した飾りに、ランボーの「酔いどれ船」の一節を改作してアメリカ占領軍や日本政府への風刺を書いたことを知ったのが、詩集を手にしたきっかけだ。

 難解な詩篇が多いなかで、私に理解できたのは、直接的な表現で記された作品群だった。小林秀雄訳の『地獄の季節』(岩波文庫)、金子光晴訳の『ランボオ詩集』(角川文庫)、さらには研究書にまで手を出して読みふけったものだ。そのなかでもなぜか「『居酒屋みどり』で」が特に印象深く記憶に残っている。

 ランボーに接してから二十四年。私はいったい彼のどこに魅かれていたのだろうか。テレサ・テン取材のために訪れたパリからベルギーまで足を延ばし、列車のなかで手あかのついた詩集を読みつつ確認したことは、私もまた多くの若者と同じように、自分の人生に、ランボーの詩と生活が求めた「自由の精神」を重ねていたことである。

「永遠の時間」しかなかった青春時代。もちろん人生には避けることができない多くの翳りが待っているなどという感覚の一片さえ抱かなかった「幸福」な時代。しかし三十代という働き盛りにやってきた「翳り」のただなかでは、一年に二度も不本意な失業に追い込まれた。失意のなかで、狭い枷に縛られた精神は不自由だったが、本心に忠実だったことだけがいまでも私の救いになっている。藤田省三が強調しているように、全き完了形として手を加えることができない「後ろ姿」=歴史は誰にとっても大切なものだ。

 私は無意識のうちにランボーの生き方のある部分を自分の生き方に取り入れていたのだろう。

 滞在したパリのホテルの鏡に映った私の顔に重なって、まだ髪の毛も豊かだった私がいまなお問いかける。

「心と心が熱しあう/時世はついに来ぬものか!」(最高の塔の歌」より)

(『本の話』文藝春秋、1998年7月号)

All copyright 2000-2001 Yoshifu Arita. All Rights Reserved. E-mail: arita@gol.com