ベトナム戦争秘話をボー・グエン・ザップ将軍から聞きたい。そう思ってベトナムのハノイを訪れたのは1990年春のことだった。当時、ザップ将軍はベトナムの副首相を務めていた。ベトナム大使館で渡航手続きを終え、取材依頼は原稿を執筆する『朝日ジャーナル』を通じて行なっていた。その準備をしていたとき、外報部から『朝日ジャーナル』に来ていた鈴木敏さん(故人)がこう言った。「有田さん、ハノイに面白い記者がいるんだ。共同通信の辺見というんだけど、会うといいですよ。記者というよりも彼の文章は作家の文体なんだ」。そのとき鈴木さんが教えてくれたのが、昭和天皇死去にあたって辺見さんが書いた記事だった。わたしはさっそく『朝日ジャーナル』に掲載された原稿を探してみた。「御霊は天翔てブータンに降りたもうた」というタイトルで筆者は「辺見庸」とある。私が辺見さんの存在を知った最初である。一読驚愕。何とユニークで文化論的な天皇制批判だろうかと思いつつ、まさに作家の文章だという感想をいだいた。
【辺見さんの原稿は『朝日ジャーナル』89年11月17日号。『反逆する風景』、講談社文庫に収録】
ハノイのノイバイ空港を出たところで新聞局からの迎えが来ているはずだった。ところがいくら待ってもその気配がない。仕方なくタクシーを手配して市内に向かった。迎えがなければ宿泊する場所さえわからない。そこで、かつて宿泊していたトンニャットホテルへ行き、知人の記者から新聞局に問いあわせてもらうことにした。待つこと数時間。戻ってきた返答に愕然とした。聞いていないというのだ。当時のベトナム取材でこういうことはしばしば経験していた。もちろんボー・グエン・ザップへのインタビューなども知らないというのだから不安が増すばかりだった。ベトナム戦争終結25周年にあたって、ベトナム戦争の指導者から話を聞くことを、当時の編集長だった伊藤正孝さん(故人)は大いに期待していた。わたしはフリーで仕事をしている。取材費をもらってわざわざハノイにまで来たのに、仕事のめどはまったくないというのだ。わたしは1日になんどかの交渉をしながら、ただただ「待つ」しかなかった。
あてどもない待機時間に夜な夜な訪れたのが某ホテルにあった辺見さんの部屋だった。共同通信の支局がそこにはあった。酒を飲みながらベトナムの政治のことなどを語ったものだ。東欧革命の影響もあり、ベトナム共産党のなかからも複数政党制を唱える幹部が現われ、それが話題となっていた時期でもある。辺見さんからいつか作家になると聞いたのも、エロチックな小説の構想を聞いたのも、ベトナムの熱気のなかでのことだった。結局インタビューは実現し、トンキン湾事件やテト攻勢について、それまでの定説をくつがえす証言をえることができ、記事は国際配信されることにもなった。
【ボー・グエン・ザップ将軍へのインタビュー記事は『私の取材ノート』、同時代社に収録.。そのときに取材したベトナム政治については季刊『窓』第4号に「ベトナム共産党になにが起っているか」を書いた】
日本に戻った辺見さんは「自動起床装置」で91年に芥川賞を受賞した。お祝いに日本酒の「美少年」を送ったわたしに礼状が届き、それをきっかけにして電話で雑談もした。辺見さんのお仕事を拝見していてわたしに芽生えたのは報道の文体と小説の文体というテーマであった。報道はどこまで「文学」を受容できるのか。言葉を変えれば、報道においてどれほどの抵抗(レジスタンス)が可能なのか。たとえば詩人の安西均さんの「菫(有田注、すみれ)の花咲くころ」という一遍がある。記者として特攻隊の青年を取材した安西さんは、検閲のあるなかで、報道記事のなかにぎりぎりの思いを文学的表現で書き込んだ。たとえば「踏みしだかれた菫のあたりだけ、ひときは陽が射すように見える。今は丁度、あの若い航空兵が敵艦に体当たりしたであらう時刻だ」。これは新聞記事のなかの文章である。安西さんの抵抗精神は、無味乾燥の報道文体のなかに、こうした「本音」を書き込ませた。その思いとは何だったのか。この詩の最後にはこう書かれている。
いつも姿勢を低くしてゐよう!
言葉を奪われたときは
奥歯に菫の花を噛んでゐよう!
わたしに詩法があるとしたら
そんな新聞記事作法だらうといふ気がする。
これは戦時の経験をふまえた「決意」である。いま「有事」に傾く日本にあって、文筆家は安西さんの「詩法」から何を継承すればいいのか。自分なりの「詩法」をそれぞれが発見し、身につけなければならない。しかも、それは文筆家だけの課題でもあるまい。
辺見さんとはオウム真理教の教祖・松本智津夫(麻原彰晃)の裁判で96年に再会した。握手のあとでわたしがテレビに出ていることを恐縮したとき、辺見さんはこう言った。「画面に映るあなたの顔を見ていれば表情で気持ちがわかるから、それでいいんだよ」。地下鉄サリン事件が起き、テレビでわたし(たち)が行なう批判のストレートさに辺見さんは批判的だった。船戸与一さんとの対談では名指しでの批判もあった。わたしは作家の藤原智美さん、久間十義さんと文芸誌『すばる』で行なった座談会で辺見さんへの「回答」を語った。それを見たのだろう。辺見さんはオウム事件についての対談を単行本に収録するとき、名指しの部分を削除していた。裁判所での会話にはこうした伏線があった。のちに文藝春秋でばったり遭遇し、サロンで雑談をしたときには、詩についてが話題となった。とくに辺見さんがいつでもカバンに入れていたという高内壮介の『花地獄』(思潮社)の文体について話題になった。わたしも読んでいると伝えたところ、「いいでしょう」とうれしそうだった。文体にこだわり、既成の文体を破壊することで見えてくるものがある。逆にいえば、たとえば報道文体に耽溺していれば、見なければならないものも見えなくなることがある。わたしはそう理解した。
わたしが書きたいことの前提が長くなってしまった。高校時代からランボーやハイネなどの詩を読むことはあった。晩年の山川暁夫さんから「ハイネを読み返しているんだ」と聞いたときも、ただ「詩心があるんだな」ぐらいにしか受けとめていなかった。しかし、そうではなかった。山川さんが赤線を引きながら読んでいた「ハイネ詩集」を奥様からいただいて読んでいてようやく気がついたことがある。ハイネの言霊に共鳴して現代を「視る」山川さんの精神がそこにはあったからだ。「詩」のなかには世界がある。現実もあれば現実を乗り越える思想もある。言葉とは「武器」でもあるのだ。こうして日常の読書のなかで詩集に目を通すことが多くなった。書くことを仕事としてから文体というものを考えてきたが、辺見庸さんから教えられた数々の詩集を読むことによって、山川さんの問題関心とも結び、「詩と人間」という課題がせり上がってきたのである。
わたしの結論からいえば、詩とは詩人の思想が凝縮したものであり、現実によって蔽われ、偽装された世界を一瞬の閃光によってさらしだす機能をもった言葉の刃である。もちろん方法として純文学風もあればノンフィクション風もある。そこをさらに圧縮して飛躍させた言葉群には、ときに「生きる方法」が提示されることもある。そう確信したのは、哲学者の鶴見俊輔さんの詩集『もうろくの春』(SURE工房)を手にしたときである。いちばん印象に残ったのはイギリスの作家ロバート・グレイヴスの「形のきれはしから」という詩だった。
彼はすばやい。はっきりした形にたよって、考えてゆくから。
私はのろい。形のきれはしをたどって、考えてゆくから。
彼はにぶくなる。はっきりした形を信じているから。
私はするどくなる。形のきれはしを信じてはいないから。
形を信じるゆえに、彼は形によりかかる。
形をそのまま受けいれない私は、形に我が身をあずけない。
事実にうらぎられるとき、彼は感覚をうたがう。
事実にうらぎられるとき、私は感覚を受けいれる。
彼ははっきりした形をかかえて、すばやく、そしてにぶくありつづける。
私は形のきれはしにかこまれて、ゆっくり、そしてするどくありつづける。
彼は、理解のあたらしい混乱のなかに。
私は、混乱のあたらしい理解のなかに。
形にとらわれることなく、ただ生起する事実を基本として自己をも相対化すること。自分の感性や考えを裏切るような事実が眼の前に現れたとしても、自己に拘泥するのではなく、現実をまずは受け入れること。それがたとえ認識に混乱をもたらすものであったとしても、その混乱から出発することだ。言うは易く行なうは難し。混乱は思考をも惑わす。そこからの脱出は「ひと呼吸」を置くことだ。いろいろなひとたちの行動を観察していると、その「呼吸」があまりにも短いケースが目につく。わたしにおいてもまた同じ行動スタイルがある。ここを変えたい、変えようとも思った。
詩と人生。それは本質的に行為を媒介する認識論でもある。なぜならば「身体が精神である。精神と肉体は、同一の現実につけられた二つの名前にほかならない」(市川浩『精神としての身体』、講談社学芸文庫)からだ。かくて詩とは、世界を理解し、人間を理解し、何らかの行為をいざなうために昇華された認識なのである。
いまようやく辺見庸さんや山川暁夫さんが詩に求めたものが「見えてきた」ように思う。問題は自らの身体にどう組み込むことができるのか、という課題である。「砥石としてのアジア」(井上ひさし)という表現にならえば「砥石としての詩」。山川さんがいつも語っていた言葉――「ジャーナリストとはたったひとりで世界に立ち向かう存在である」――にとって有効なものは理論であり、それを補完し、支える言葉である。理論とは身体化し、常に生成する言葉によって支えられなければ、ひとをとらえるものとはならない。
すぐれた詩人とは、凝縮した言葉のなかに自分がイメージした世界を表現するものをいうのだろう。詩をもって世界を獲得する志がそこにはある。時代像や歴史観を獲得するための作業にあって、事態の意味をノミネーション(命名の方法)すること。支配の機能がそこにあれば、それに対抗するための言葉を獲得することだ。いまや支配ー反支配の拮抗において言葉の枯渇ははなはだしいものがある。躍動する言葉を探したい。その彼方には花香る美しい世界があるのかもしれない。(未完)