旅には季節感がともなっている。春といえば「桜」であり、夏といえば「海」。そして秋の印象は「紅葉」といったところが日本人の心に浮かぶ一般的な風景だろうか。そこに結ぶ像は、もちろん世代によって異なっている。ひとの感性に訴える自然の美しさとはかなさ。その心情にまつわるひとそれぞれの「想い出の歌」がある。
わたしたちの世代が好んだ流行歌で一九七二年にヒットした吉田拓郎の「旅の宿」は、秋の景色にぴったりくるものだった。「浴衣の君」は「すすきのかんざし」、「熱燗とっくり」で「ああ飲みすぎちまって」の世界。あこがれか現実か。この歌が流行ったころに青春期を送ったひとたちの多くは、世紀を超えてもこの歌詞を覚えている。わたしたちの先行世代にも共通するのは、生活のなかに歌があるという素晴らしさだった。
俳優で大衆芸能の体現者である小沢昭一さんが、いま童謡に没頭しているのには理由がある。「遊びをせんとや生まれけむ」。日々忙しく遊びながら自然や社会、そして人間関係をも身につけていくという原点。「遊べや遊べ」という精神にはこうした意味がある。その小沢さんの童謡CD「春秋しみじみ」には、たとえば「旅愁」が収録されている。「更けゆく秋の夜、旅の空の、わびしき思いに、ひとりなやむ」という歌詞。ハーモニカにのせて歌う小沢さんの歌唱は決してうまいとは思えないものの、そこには真情が満ちあふれている。経験から生まれた言葉こそ共感を広げるのである。
時代体験と流行歌。「うまい」とか「へた」という問題ではない。わたしたちには季節の歌がある。もちろん先行世代にも多くの歌がある。ならばいまの若い世代がときを経たときに思い出す季節感あふれる旅の歌はあるのだろうか。ましてや「人生の秋」の歌となればいかに。旅情からもいま大切なものが消えつつあるのかもしれない。