酒に海鞘火の気なき炉に顔寄せ合い(石川桂郎)
海鞘(ホヤ)はマボヤ、アカボヤが食用となり、初夏のころが食べごろだ。「海のパイナップル」と呼ばれるのはその形から。三陸海岸の珍味である。鮮度からいってもできれば地場で食すにかぎる。紫混じりの濃赤色に育った海鞘の鮮やかさ。まさに自然の恵みである。
遠い昔に八戸を旅したときのこと。海岸でウミネコの乱舞と泣き声に驚き、夕刻、予約していたホテルに入ろうとしたときだ。向かい側にある酒場のたたずまいが気になった。
作家の吉村昭さんは、取材の旅先で入り口の雰囲気を見て、美味しい料理を供する酒場かどうかを判断する臭覚があるという。俳優の小沢昭一さんも、旅館を選ぶとき、木口がしっかりし、玄関の電気が明るいことなどを選択の基準にしている。旅の名人に失敗はほぼないようだ。
まだ三十歳代はじめのわたしにそのような能力があろうはずもなかった。それでも気になったのは、酒飲みのカンとでもいうしかない。失業をきっかけとした貧乏旅行。乏しい財布にも関わらず暖簾(のれん)をくぐったのは、いささか自棄の気分があったからかも知れない。
「海鞘は大丈夫ですか」。はいと答えると大きな海鞘を手にした店主は、目の前で包丁を入れた。見事に真っ二つ。「まずこのまま吸ってください」。そういわれてゴムのような感触の切り口に舌を触れる。ほの甘く酸っぱい味が広がっていった。海鞘は上端にある入水孔から海水とともに餌を吸い込むという。その体内でブレンドされ熟成された古酒のような味わいだ。肉質の甘美さに海に潜む海鞘の姿を想像すれば、太古の世界へと想念は飛翔する。
そう、旅とは出会いであり発見でもある。日常のなかに埋没した感性が開放され非日常の環境のなかで蠢きだす。ひとは自らの姿を直接に見ることはできない。だから鏡を眺め、他人の意見を聞くことで自らを振り返る。「鏡としての旅」。わたしたちが旅に出るのは自己再発見の時間でもある。ひとつの海鞘との出会いでさえ意味を持つのだから。