東京の神田神保町は本の街。すずらん通りに地方出版物や小規模出版社の書籍を置いている「書肆アクセス」という小さな書店がある。ある日、店頭をのぞいたときに『酒とつまみ』というタイトルの冊子が眼に入った。「何だこれは」と手にして表紙をめくる。巻頭を見ると「へべれけサスペンス劇場」とある。略して「ヘベサス」だという。すかさずこころをよぎった思いがある。「どうせこれは自ら好んでアルコール中毒への道をばく進しているひとたちの雑誌なのだろう」。普段ならそのまま元の場所に置いて店を出るはずだった。ところが知人の二木啓孝さんも書いているから「まあ完全に壊れているわけでもないんだろうな」などと勝手に思い直し、試しに買い求めたのが悪への誘いの一歩だった。適当に記事を読んでいると、まるでフラッシュバックのように20代、30代の恥ずべき乱行の数々が蘇って来るのだった……。
京都で大学生活を送っているときだから一九七〇年代前半のこと。授業にはほとんど出ず、学生運動と酒の日々が続いていた。市内中心部には御所がある。御所とはそもそも天皇が暮らしていた場所だ。京都の財界では、「天皇家は京都に戻っていただきたい」などと主張をするひとたちがいまでもいるぐらいだ。その敷地は広く、夜中でも開放されている。砂利が敷かれたところどころに小さな丘のような土地があった。深夜、酒に酔ったわたしたち数人は、その頂上に隠れ、じっと息を殺している。やがて向こうから身を寄せ合ったカップルが歩いてくる。その顔が確認できるほど近づいたところが行動の頃合いだ。「ワー!!」。大声を上げたわたしたちが立ち上がり小丘を駆け下りると、カップルは全速力で来た道を走り去って行く。こんなことを繰り返していたバカな時代だ。
ハセベという広島出身の男がいた。自治会室で行われた会議の席でのこと。田中角栄内閣が企んでいた小選挙区制に反対する街頭行動を行う前に打ち合わせが行われた。制度の問題点や国会の状況などが報告されたあとに委員長のトイデが威厳を漂わせる口調で言った。「何か質問はないか」。その横に座り、中国の人民帽を被っていたハセベが「はいっ」と口を開いた。何だと聞くトイデ。ハセベは言った。「あなたにとって幸せとは何ですか」。トイデは絶句し、ひきつった笑顔を凍らせたまま「さあ、行くぞ」と立ち上がった。このハセベの酒癖が悪かった。大学の近所に下宿をしていたタケイの部屋で飲んでいたときのことだ。いきなり立ち上がったハセベは押し入れに向かってジョロジョロと小便を放ったのだった。
このハセベの姿がある日突然に消えた。誰も消息をつかめなかったが、調べてみると警官隊を相手に大立ち回りをしていたことがわかった。酒に酔ったハセベは下宿の屋根に登り、瓦を道路に投げつけはじめた。やがてジュラルミンの楯を持った警官隊が駆けつけた。「やめなさい」とハンドマイクで叫ぶ警官隊にハセベは叫んだ。「オレを知らんのか。ベトナムの戦場から帰ってきたばかりのハセベじゃ」。まだベトナム戦争が続いていたときのことだ。もちろんハセベはベトナムに行ったことなどはない。屋根に登ってきた警官隊に取り押さえられたハセベは、逮捕され、拘置された。
酒の上の乱暴狼藉にも政治が入り込んできた。そういう時代だったのだ。ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの作品「幸せな無名時代」をもじって言えば、「幸せな政治時代」でもあった。いまの若い世代もきっとそうだろう。生きることとは、男女の別なく、酒にしても人間関係にしても、自分との折り合いをつけていくための修練の積み重ねだ。飲むことの作法を身につけるプロセスとでもいえようか。失敗を繰り返すうちに酒との相性が理解できるのだ。渥美清さんが演じた「フーテンの寅さん」の有名な台詞がある。「とかく、西に行きましても、東に行きましても、土地土地のお兄貴(あにい)さん、お姐(ねえ)さんにごやっかいかけがちになる若造です」。そんな年代である。
無謀の連続だった。河原町の屋台で「テールスープ」などというものをはじめて口にしたとき、隣にはたまたまKBSラジオで聞いたことのある女性パーソナリティがいた。何が「有名人」かはいまではよくわからないが、はじめて目の当たりにした「その世界」のひとだった。やけに緊張したものの、しかし、どこかで出会えたことに多少は誇らしげな感情があることに気がついていた。何しろ電波の向こうにいるはずの「有名人」が、すぐ横に座って酒を飲んでいるのだ。いまでは名前も覚えていないが、はっきりとした口調で語るその姿は、顔のない「影」としてすぐに蘇ってくる。しこたま飲んだ。やがて夜が明け、空を見上げれば黒い天空に青さがほの見えていた。
始発はすでに出ているから阪急電車に乗って帰ればいい。河原町から梅田行きに乗った。客はまだほとんどいない。睡魔と酔いに車両の端の客席に横になったことまでは覚えていた。ざわめきと小さな笑い声がだんだんと聞こえてきた。車内放送は次が大阪の十三だとアナウンスしていた。ハッと眼を開けると車内は満員。まなざしを上げると、そこには制服を着た女生徒がずらり。しばし眼を閉じたが、恥ずかしくなり、起きて座席に座った。そんな程度の醜態は普通だった。河原町のビルの狭間で眠り込んでいたときだ。コツコツと靴音がするので眼を開けると、女性が不安げにのぞき込んでいる。眼が合うとあわててその場を離れて行った。こうした朝を何度迎えたことか。夏場の路上の心地よさはいまでも忘れられない。この程度の経験がわたしと酒とのほろ苦い付き合いの序章だった。
(『酒とつまみ』第7号)