【二子山親方と憲子さんの離婚。これほどまでに相撲人気を支えたファミリーはこれまでにないだろう。理想の家庭と誉めちぎられた一家の崩壊。その理由をいくつもあげることができるが、背景には情報時代の相撲人気という側面もあると思い、スキャンダルで話題となった時期にこんな文章を書いていたことを思い出した。】
駒田中がついに幕内優勝を果たした。中日までに二人の大関を破り、六勝二敗の成績。このあたりからマスコミ報道は駒田中に焦点を絞り出した。千代大海に注目が集まったのと同じようにである。しかし、駒田中の初優勝を促した最大のエネルギーは、ある女性への強い恋情にあった――。
と書いて「理解」できる相撲フアンはどれぐらいいるだろうか。おそらく世代間で相当の偏差があるに違いない。そう、駒田中の優勝は、ちばてつやが描く「のたり松太郎」という漫画の世界の出来事だからである。
驚いたことに、坂口松太郎を主人公とするこの漫画が『ビッグコミック』に登場したのは一九七三(昭和四八)年八月十日号から。途中休載はあったものの、二十六年間もの連載は、相撲人気の反映でもある。駒田中こと「田中君」が登場したのは七六(昭和五一)年二月。初優勝までに何と二十三年の歳月が必要だったことになる。
漫画というメディアで「のたり松太郎」が長続きしている秘密は、もちろん作者の力量によるところが大きい。ちばてつや描くところの相撲の世界は、荒駒関=坂口松太郎を中心に、駒田中はじめ個性豊かでユーモラスな青春群像として生き生きと展開している。しかも、誰が見ても実在の力士――たとえば千代の富士や武蔵丸――が四股名を少し変えて登場するから、小説の世界でいう「実名小説」にも似た面白さだ。
読者は虚構の世界と知りながらも、普段はかいま見ることの出来ない部屋での生活などを、漫画を通じてイメージ豊かに知ることになる。「のたり松太郎」が二十六年間も生命を保っている背景には、アニメ世代にまで相撲が大衆化している現実があるのだろう。
振り返れば相撲とメディアの関係は半世紀を超える。絶大な人気を博したラジオの相撲中継が質的変化を生むのは、一九五三(昭和二八)年にテレビ放送が開始されてからだ。この年は横綱照国と羽黒山が引退したものの、鏡里が横綱に昇進、大関栃錦と若乃花の台頭で相撲人気は衰えるどころか双葉山時代を凌ぐとさえ言われた。
プロレスや野球とともに相撲中継がはじまったのは翌年からで、相撲人気にいっそう拍車をかけることになる。しかし、中継とスポーツニュースあるいは特別番組以外で力士の姿を見るにはワイドショーの登場を待たねばならなかった。
ワイドショーの歴史を切り開いた「木島則夫モーニングショー」がNET(のちのテレビ朝日)ではじまったのは、一九六四(昭和三九)年四月一日から。やがてテレビ各局にワイドショー番組が生まれていく。力士と歌手との結婚が取り上げられたことに象徴されるように、そこでは主として慶事が報道の対象だった。
こうした取材に大きな転機が訪れる。元大関貴ノ花(藤島親方)の息子二人がそろって角界入りした一九八八(昭和六三)年である。若花田と貴花田、のちの若乃花と貴乃花の登場は、テレビだけではなく週刊誌などの頻繁な報道対象となり、彼らは徐々にタレント化していった。ここで注意すべきは、タレント化が本人の意思から離れたメディアの機能によって生じたことだ。
相撲の取り組みへの関心とは離れた力士個人への興味が「ギャル」と呼ばれる女性たちにも広がっていく。博多の中洲にあるクラブから出てきた横綱に「ギャル」が歓声をあげる場に遭遇したことがあるが、それもメディアが生みだした人気にほかならない。
「もろ刃の剣」とはこのことだ。私生活をこと細かに報じられることが、相撲のいっそうの大衆化に貢献したことは否定できない。しかし、その関心がときとしてスキャンダルに向かったとき、勝負に対する精神的負担は想像を絶するほどの圧力となるからだ。タレント化に本人の責任がないだけに残酷さは際立つ。
問題は、スキャンダルならずとも生じることだ。千代大海が大関に昇進したことはメディアの大きな関心を呼んだ。しかも多くの関心と共感は、千代大海関の成育歴に注がれた。メディアの取材攻勢に比例した期待の増大。大関昇進後の成績が思わしくなかったことに、稽古不足があったことは否めないにしても、その背景にメディアの過剰取材の責任はなかったか。
相撲人気をいっそう広めるうえでメディアの役割は大きい。しかし、力士が国民的人気を得ることとタレント化とは区別されなくてはならない。言葉を代えればタレント化ではない国民的人気はどうすれば実現できるのか。報道する側、とくにワイドショーと週刊誌の論理と倫理には、まだまだ多くの課題が横たわっている。